脳内交響曲

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25 2011

死の恐怖を克服する方法:死を喜ばしい出来事と見なす。

Freezing Moon

我々は通常を絶対悪であると見なしています。
仮に病気で苦しんでいる人が安楽した場合であっても、彼のを善かったことと見なすのには、我々は抵抗を感じるでしょう。
あくまで消極的に彼はを選んだのだと、あくまでぬことは悪いことだと我々は考えるでしょう。
その程度には我々にとっての価値は絶対的に悪であるように感じられます。
少なくとも、誰しも幸福な生を送ることが可能であれば、死ぬことよりもそちらを選びたいに違いありません。

では、ここで「死を喜ばしい出来事と見なす。」という死の恐怖の克服法について考えてみましょう。
通常我々は死を悪と見なしていますが、しかし、いっそ開き直って死を喜ばしい出来事と見なすことは可能でしょうか?

すなわち、死の悪い側面(自己の消滅、経験の消滅等)はいったん脇に置いておいて、死の善い側面だけに目を向けるのです。
信じられない人もいるかもしれませんが、実のところ、死には様々な善い側面があるように私には感じられます。



例えば、様々な欲求をこれ以上満たす必要がなくなるというのは、死の美点であると言えるでしょう。
我々は生きている限り様々な欲求を満たし続けなければなりません。
例えば、食欲や性欲、睡眠欲、放屁欲、安全欲求、物欲、金銭的欲求、知的欲求、名誉欲求、自己実現欲求などなど・・・。
こういった欲求は我々が生きている間に往々にして抱くものであり、仮に満たせないと多大な苦痛が待ち受けています。

おまけに欲求のいくつかは満たすには、多大な労力(例えば、金を得るための労働など)が必要とされる場合もあります。
この点を踏まえると、欲求があるということは一つの災厄であると考えることができ、同時に死はこの無限の欲から我々を解放してくれる善い出来事であると考えることもできるでしょう。
これが死の一つ目の良い点。

そして、死には「一切の人間関係を断つことができる」という美点もあります。
生きていく上で必要な資源を確保する必要がある以上、我々は他者との関係を切ることは現実的に出来ませんが、しかし人間関係は個人に様々な苦悩をもたらします。
例えば、差別や劣等感、陰湿な他者の嫌がらせ、社会的競争などには誰しも何度も悩んだ経験があるでしょう。
これらの悩みは誰しも解放されたいと願うものばかりでしょうが、しかし一回社会に組み込まれてしまうと、死ぬまで解消されないという重大な問題があります。
仮に人と距離を置こうとも、他者は同じ世界に存在しているというだけで個人に強烈なプレッシャーを与えるのです。
(服を着たり、化粧をしたり、まともな人格を演じ続けること、これらはすべて他者がプレッシャーを与えてくることによって成立します。)

人生の苦悩のほとんどは人間関係に起因するといっても過言ではないでしょう。
しかし、死は人間関係のしがらみから完全に、そして永遠に人を解放してくれます。
人は死ねば、一切他者との人間関係に悩まされずに済むのです。
これが死の二つ目の良い点。

そして死の最も善い点は、何よりも「死の恐怖をこれ以上抱くことがなくなる」ということです。
死が悪であるのは結局のところ、そこ(死)に我々が悪を見出すからです。
仮に我々に心(判断力)がなく、単に体験の消滅のみがあるならば、それは悪でも何でもなありません。
あくまで、死の悪は体験の消滅+消滅を悪と判断する我々の心の両方によって成立しているのです。
とすれば、我々が死んで心が消滅すれば、死を恐れることがなくなるということは自明でしょう。
これが死の三つ目の良い点です。



では以上を踏まえて、死を喜ばしい出来事と見なすことは可能でしょうか?

これらの良い点は一見大変魅力的であるように感じられます。
欲を満たす必要がなくなり苦労せずに済む、人間関係がもたらす不安をなくすことができる、死を恐れずに済む、これらは多くの人にとって理想的であるに違いありません。
特に人生で苦労が多い人や、人間関係に苦しんでいる人はまるで死が宝石のように輝いて見えるのではないでしょうか。

ただこれらの良い点が死の悪を打ち消せるかというと、一概にそうとは言い切れません。
死の悪を多くの人は消滅としての悪と考えていると思うのですが、死の悪と死の良さを天秤にかけてみるとどうでしょう。
やっぱり死の悪さはその良さに勝ると誰しも考えるんじゃないでしょうか。
誰しも、様々なデメリットを踏まえても生き続けたいと願うんじゃないでしょうか。

多くの人が自殺を決行できずにいるのも、結局のところ良い点と悪い点を天秤にかけて、悪い点の方が優位に立っているからでしょう。
都合よく死の良い面だけを見ることができれば、死ぬことは全く恐ろしくないのでしょうが、しかし中々そういうわけにもいきません。
やはり、一定の判断力がある人にとっては、死の悪さはどうしようもなく深刻に感じられるものでしょう。
死の良さというのは死の悪さの前ではあっけなく砕け散ってしまう程度のものでしかないように私には感じられます。

また「死を喜ばしい出来事と見なす。」という方法にはもう一つの重大な問題があります。
それは仮に死を喜ばしい出来事と見なすと、死が全く悪ではなくなってしまうということになるということです。

死が悪で無くなるというのは一見喜ばしいことのように見えますが、そうでもありません。
例えば、遠くから暴走した車が自分のいる場所に迫ってくるような状況を想像してみてください。
このような状況で我々が車を避けようと必死になるのは、我々が死ぬことが自らにとって悪いと考えているからです。
しかし仮に死を全く悪と考えず、恐れもしなかったらあなたは恐らく車にはねられて死にます。
このような状況でも死を悪でないと判断するのは極めて難しいのではないでしょうか?

また「死を喜ばしいと考えてるなら、なんでさっさと死なないの?」と尋ねられたらどうでしょう?
おそらく回答に窮するんじゃないでしょうか。
「メインディッシュは最後まで取っておくものでしょ」みたいな返答をする人もいるかもしれませんが、しかし私には言い訳じみているように感じられます。
そういった強がった考えを抱いているときに限って、人は内心ビクビク死ぬことにおびえて震えているものです。



以上の点を踏まえると、「死を喜ばしい出来事と見なす。」という方法は一定の説得力があるものの、死の恐怖を克服するうえで完全とは言えないでしょう。
少なくとも私には満足のいくものではありません。
もし生きている間に、欲を満たさずに済んだり、人間関係の不安を解消することができれば、それが一番なのですが、消滅した上でとなると「う~ん・・・」という感じなのですよね。
ただ、この方法は人によっては絶大な効力を発揮する方法だと思うので、そういう方にはお勧めです。

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死の恐怖

- 2 Comments

GAZIME  

初めまして。
このイラストブラックメタラー的にとてもツボでした。

2011/04/06 (Wed) 14:01 | EDIT | REPLY |   

ぶち丸  

はじめまして、お褒めの言葉どもです^^
初期Mayhemが好きです。最近のはあんま聞いてないんですが。

GAZIMEさんのレビューめちゃくちゃ参考にさせてもらってます。これからもお世話になります(_ _)

2011/04/28 (Thu) 03:39 | EDIT | REPLY |   

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