脳内交響曲

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23 2011

死の恐怖を克服する方法:QOL(生命の質)を意図的に落とす。

Castle Over The Sky

本記事では、死の恐怖を克服する方法について考えたいと思います。
今回取り扱う方法は、「QOL(生命の質)を意図的に落とす。」というものです。



この方法について考える前に、まずの価値がどのようにして決定されるかについて考えてみましょう。
ここで次の二人の人物を想像してみてください。

①幸福な夢のある人生を送っている人
②不治の病に苦しんでおりもう何の望みもない人

おそらく大半の人は前者にとっては悪であるが、後者にとってはは悪ではないと考えるでしょう。

このようなの価値の違いが生じるのは、我々が前者が幸福であり、後者が不幸であると考えているからです。
すなわち生の価値が高いときはが悪に、生の価値が低いときは死が善に近づくと我々は判断する傾向があります。

この点を踏まえると、死の価値は常に悪なのではなく、生の価値によって善になったり悪になったりすると言えるでしょう。
死の価値は単独で決まるのではなく、生の価値によって決まる側面が大きいのです。



そしてもう一つ明らかなのは、もし仮に我々が自らの置かれている状況を徹底的に悪化させれば、自らの死の悪さ(恐ろしさ)を軽減することが可能かもしれない、ということです。

上記のように我々の死の価値は、生の価値が高いときに悪に近づき、生の価値が低いときに善という価値に近づきます。
そのため、もし死の恐怖を克服しようとする場合、端的に自らの生の価値を低めれば、死は悪ではなくなり恐怖は軽減すると考えられるのです。

生の価値を軽減する方法は次のようなものが考えられます。

1:身体障害を背負うために自らに外傷を加える。(自傷行為をする。)
2:大事な人全員と険悪な状態で縁を切り、自分の最も嫌うタイプの人々と濃密な付き合いをする。
3:わざと深刻な病気にかかる(感染症)、不摂生な生活を送る。運動をしない。
4:夢があるならば、それが絶対叶わなくなる状況に自分を追い込む。
5:自らの容姿(髪型、体型、顔面)を回復不能な、目も当てられない状態にする。
6:自らの財産を考えられる限り最もくだらない理由に基づいて全て投げ出す。或いは一番嫌いな人間に譲渡する。
7:服を着ない、食べ物をとらない、自分の家を燃やす。
8:自分がほしかったものを十分に苦労して手に入れたのちに、何の理由もなく即処分する
9:一切の行動をせず、退屈に苦しむ。
10:犯罪に手を染める。社会の敵になる。
11:麻薬(酒、煙草を含む)を大量に摂取する。(ただし自らがそれを愛好している場合は、決して摂取しない。)
12:自分に好意を抱きそうな人を片っ端から拒絶する。(暴力をふるうという形で。)
13:自分の社会的地位を出来る限り落とす。
14:常に最悪な未来が訪れることを想定し、不安を抱き続ける。
15:嫌いなことにのみ手を出す。好きなことには絶対手を出さない。

仮にこれらのいくつかを組み合わせて実行すれば、死の恐怖は克服出来るのかもしれません。



ただし、生の価値を軽減させるには重大な困難が伴います。
それは当たり前のことですが、生の価値を軽減する方法(1~15)のいずれもが自主的に実行するのが困難だということです。

上記の方法を見ればわかる通り、いずれも実践するうえで多大な心理的苦痛、精神的苦痛が間違いなく伴います。
仮に死の恐怖がもたらす苦痛を軽減できればラッキーなのかもしれませんが、しかしそれ以外の苦痛が増してしまっては意味がありません。

そしてもっと深刻な問題は、仮に自らの生の価値を落としたとしても、死の恐ろしさは全く軽減されない可能性があるということです。

不治の病にかかった人が死ぬような場合、我々には確かに死が彼にとって救済であるように感じられます。
仮に彼が生き続けた場合、未来には更なる苦痛がありえるでしょうから。
しかし、生き続けることが悪であるとしても、依然として不幸な人にとっても死ぬことが(幸福な人にとっての死と同程度に)悪であるということはありうるのです。
少なくとも死が「自己の消滅」であるととらえる限り、不幸な人にとっても依然として死は悪であるように私には感じられます。

よって「QOL(生命の質)を意図的に落とす。」という方法は、死の恐怖を軽減する方法として一応想定できるものではあるものの、実践するにはあまり現実的とは言えないでしょう。
もちろん私はこの方法を採用することは誰にもお勧めしませんし、可能ならば他の方法をとってもらいたいものです。
(他の方法もいずれも実践するには難があるものばかりですが。)

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死の恐怖 QOL

- 2 Comments

皓己  

ほんとですよねー。

贋作が精巧だとか、「この画風はもしや?贋作師の名前は誰だ!」とかなって、
また価値が変わってきたりもするでしょうね?「有名なアイツじゃないか!探せ探せ!」なんて。

お金持ちは自分の金をどう有意義に使い鼻を高くできるかが重要で芸術作品にさほど興味関心はないでしょうねぇ。
そういう金の使い方も良いと思うけど、でも確かに目を利いて欲しい。
重要な歴史的作品を保護する役目の側面もあるような。勿論壊すのもその人次第になりますけど。
ある意味本物を壊したいと思うが目が利いては困ってきますね~あはは。でも本物の作品愛芸術愛を感じる(笑)

2016/05/28 (Sat) 12:22 | EDIT | REPLY |   

ぶち丸  

皓己さんへ

> ほんとですよねー。
>
> 贋作が精巧だとか、「この画風はもしや?贋作師の名前は誰だ!」とかなって、
> また価値が変わってきたりもするでしょうね?「有名なアイツじゃないか!探せ探せ!」なんて。
>
> お金持ちは自分の金をどう有意義に使い鼻を高くできるかが重要で芸術作品にさほど興味関心はないでしょうねぇ。
> そういう金の使い方も良いと思うけど、でも確かに目を利いて欲しい。
> 重要な歴史的作品を保護する役目の側面もあるような。勿論壊すのもその人次第になりますけど。
> ある意味本物を壊したいと思うが目が利いては困ってきますね~あはは。でも本物の作品愛芸術愛を感じる(笑)

作者の知名度とか真贋なんて作品の価値に関係ないだろ!って思うんですよね。
そういう他人の物差しでは無く、自分が人生で培ってきた価値観に照らし合わせて判断しろよ、と。そう言う風に思うわけです。
金が手に入るってことは一見無条件にいいことのように思われがちですが、結局は金銭的価値も経済状況や他人といった外的要因によって決定されているわけで、それに固執しすぎると他人に従って生きているも同然になってしまうので、やはりそういった事態を避けるためにもお金を絶対視しないことが肝要ですね。

そういえば自分の死ぬ間際に名画も燃やして一緒に滅びようとした人が確かいましたね。
まあ好きな作品を自分で壊したいという気持ちは分からなくはないのですが、周りからするといい迷惑でしかないですね(笑)

2016/06/16 (Thu) 16:50 | EDIT | REPLY |   

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