脳内交響曲

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02 2010

孤独の大切さ

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このブログの他の記事を読んだ方はもうお気づきでしょうが、私はかなり深刻なレベルの人間嫌いです。
どうも他人と一緒にいたり、深くかかわるということは性に合わない。
私が思うに、その理由は二つあります。



まず一つ目の理由は、「人といると相手にとにかく気を遣わなければいけないから」、というものです。
例えば約束を守ったり、笑顔を見せたり、お世辞を言ってご機嫌をとったりなどなど・・・。
法律に限らず、暗黙のルールを含め、様々なルールを守ることは集団生活を営む以上、個々人にとって必要不可欠です。
これが出来なければ、当たり前ですが社会から排除されます。
そのため、私は上辺だけの関係を築くこともしばしばあるのですが、振り返ってみると、このときの私の気味の悪さは半端じゃありません。
私的な自分と公的な自分のギャップに甚だしく苛立ちを覚えるのです。

そういった理由で、他者との関係は私にとって大変な心的負担をもたらします。
たまには他者となれ合うことも悪くは無いですが、しかしそれを自分が望んでいないときまで強要されると、かなり腹が立ちます。
大勢の人も、違和感を抱きつつ我慢しているのかもしれませんが、しかしそれとは無関係に、私は自分を演じることから解放されたい。

多分多くの人は短く生きるよりも、長生きすることを欲するでしょう。
しかし、長生きするということは即ち、他者と関わらなければいけない時間が増えるということでもあります。
この事実に思いを馳せると、私は暗澹たる気持ちになるのです。
一人で生きられるならば別に問題は無いのですが、他者と関わらないと生きていけないから、私には生きることは辛いことであり続けます。
まだ私は、辛い人間関係を続けなければならないのか、自分を演じ続けなければならないのか、と。
長生きすると人は最悪、学生時代から老人になって死ぬ時に至るまで、人間関係の維持に努めなければなりません。
しかし、相手に好かれることを常に目指し続け、同時に嫌われることを一生にわたって恐れなければならないというのは、実に虚しいことです。
ならばいっそ、一人でいたいと考えるのは当然のことではないでしょうか。



また私が人と距離を置きたい理由には、「他人といると自分のやりたいことに時間を割くことが出来なくなるから」、というのもあります。
私には個人的に芸術や学問などやらなければならないことがたくさんあります。
やらなければいけないことが多すぎて、人生の時間が足りなさすぎて焦っているほどです。
このような危機感を抱くことは別におかしいことではないはず。
だって、平均寿命が現代では80年と言っても、睡眠時間・労働時間などを差っ引いたら、後に残る自由で充実した時間は僅かしか残らないのですから。
(しかも、いつ死ぬかわからないという困難も抱えています。もしかしたら明日死んでしまうかもしれない・・・。)

ただでさえ人生の時間は、何かを成し遂げるためには足りなさすぎるのです。
にもかかわらず、私にとって大切な活動は他人といるとストップしています。
すなわち、他人といると集中力を奪われ活動に没頭できないのです。
また最悪の場合、一日の内の大半をどうでもいい社会的な取り決めの為につぶすこともあります。

それに加え、集団に交じるとやるべきことを見失いかねないのが特に問題です。
上でも書きましたが他人といると相手に気を遣わなければなりません。
そしてそのことによって私は、芸術や学問に必要な思考能力や自意識、想像力などを悉く失ってしまうのです。
他の人はそれ程でもないかもしれませんが、このことは私にとって人生の意味を喪失させるほどの重大な問題です。



というわけで、最近とりわけ孤独な時間の重要性を強く感じますね。
一人でいる時しか、自分のやるべきことに集中して取り組める時間はありませんし、
だから自分の活動に集中するためには、私は何としても一人にならなければいけないのです。

最近は人間関係を極力減らすことで、自由な時間が増えてきました。
これは実に喜ばしいことです。
もうおそらく私は冷たい態度をとったことで、様々な人に嫌われているでしょう。
しかし、そんなことは知ったことではありません。
思えば、これまでの人生における殆どの人間関係は無駄ばかりでした。
そして、もっと自分に時間を使っておけばよかったなあとつくづく後悔しています。
結局のところ、人間関係の充実は人生の充実には必須のものではなく、有意義な人生を送るにはむしろ、どれだけ一人でいられるかが決定的に重要なのではないでしょうか。

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