脳内交響曲

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22 2017

時間の経過について

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更新に間が空いてしまいました。結構辛いことが多くて色々と余裕がない感じです。
で、まだ別にその状態から脱したというわけではないんだけど、思うことは色々あるわけでそろそろ記事でも書いていこうと思います。
まあ辛いときのほうが色々気づけることもあるだろうし、こういう状態で無理して書くのも悪くないよね。

で、最近というかずっと「時間の経過」について悩んでるので、今回はこの点について簡単に話してみたいと思います。
多分色んな人が色んな理由で自分の人生について悩んでいると思うんだけど、私は時間が経つにつれて出来事とか物が消滅してしまうということが原因で結構悩んだりします。
「そんな悩みを抱えてるなんて変わってますね」って思う人もいるかもしれない。
まああまりそういう悩みを持ってる人を見たことはないし、多分こういう悩みを抱いている人は少ないんでしょう。
でもやっぱり「時間の経過」は自分にとって生きがいをかなり削いでしまう要因の一つの気がする。



例えば楽しいことを目前に控えていたり、あるいは楽しいことをやってるときに多分普通の人だったら「楽しみだなあ」とか「楽しいなあ」とだけ思うのでしょう。
勿論私もそういうことを思ったりはするんですが、でも、ふとした瞬間に「いずれこれらは消えてなくなってしまうのだなあ」という虚無感が私を襲ってくる。

この感覚は私から楽しいときも決して離れていかないのです。
そして楽しいことが案の定通り過ぎて消滅してしまうと「ああ、やっぱり消えてしまったなあ」という残念な気持ちになってしまう。
そして、次に面白いことがあってもやはり同様に「これもまたいずれ消えてなくなるのだなあ」という気分になってくる。
延々とこの繰り返し。無限ループ。

基本的に楽しいことが終わった後でも記憶は残るんだからそれで十分じゃないか!と言う人もいるのかもしれません。
でも幸せな記憶があるのってそんな幸せなことなのでしょうか?
多くの人にとっては幸福であったという記憶があることはそれが無いことよりも重要なことなのかもしれません。
でも、一番重要なのは「幸せであったかどうか」ではなく「今幸せであるかどうか」であるはず。
ならば、幸せな過去を振り返ることは無意味なのではないでしょうか。
むしろ過去の幸福を思い出すことは今の不幸を際立たせてしまう、なんて場合もあるんじゃないでしょうか。
(記憶があることのメリットなんて、せいぜい自分が自分であるという安心感が得られることくらいでしょう)



とはいえ、私は「どうせすべては無くなるんだから、楽しいことを一切するな!」と言いたいわけではありません。
もし一切楽しいことが無かったら生きる気力を失くしてしまいますから、なにかしたいことがあればそれを積極的にすることは重要なことでしょう。
基本的に我々の人生はつらい物なわけですから、楽しいことが無かったらやってられません。
だから、いずれ何もかもが無くなるからといって我々は別に目の前の何かを台無しにしてしまって堕落する必要なんて全くありません。

がしかし、それでもいずれ来る消滅を予期してしまうから、やはりその虚しさは決して消えないのではないか、というのが私の正直な本音なのです。
人生で得るべきものを仮に全部得たとしても、その得たものは全部時間の経過によって消滅してしまうわけですからね。
時間の容赦ない経過は人生を充実させようとする意図を挫くものとしては十分すぎる気がします。
(まあ気にならない人はやはり気にならないんでしょうけど)

この時間の経過の厄介なところはどうやってもこれを止めることが出来ないという点にあると言えるでしょう。
恐らく時間を止めるためには自分が死ぬしかありません。
死ねば間違いなく時間は止まります。
だから時間を止めるためには自殺すればいいと言ってもいいのかもしれませんが、とはいえ、やはり死ぬのは最悪なことなので、そんなことが出来るはずもなし。



とすると、時間を止めることよりもむしろ「ある出来事を今から過去に移行させないこと」が大事な気がします。
例えば、祭りが終わってしまうのが悲しいのであれば祭りを絶えず延々と続けるみたいな感じで。
楽しい状態が永遠に続いてくれれば時間の経過も多分恐ろしいことではなくなるでしょう。
ならば「楽しいことを延々とし続けて生きよ」という規範にしたがって生きるのが時間の経過の問題を解決する唯一の選択肢なのかもしれません。
(とはいえ、現実的に考えて楽しい状態を永続させるというのは不可能に近いわけですが・・・。)
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時間 虚しさ

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