脳内交響曲

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死後の世界を信じたほうが得なのか?

2017年02月22日 21:28  死について  

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我々は生きている間に死について思いを巡らせ、そのことによってしばしば悩みます。
例えば、病気などによって自らにどうしようもなく死が差し迫っているときや、身近な人が死んだりしたときは、死を有害視するのは当然のことでしょう。
或いは、自分が積み上げてきたものを無に帰してしまうがゆえに、死を有害視する人もいるかもしれません。

そして、死について思い悩むことは人生に支障をきたします。
上記の例に関して言えば、相当な努力が必要な目標を掲げている人が「どうせ死んでしまうのだ・・・」と、その目標を投げ出してしまうことが考えられるでしょう。
或いはまた、死が迫っている人が感じるであろう消滅の恐怖は計り知れないものがあるでしょう。
現に今健康な私ですら、死は恐ろしいですから。
死を恐れることによってもたらされる負担は、もしそれがないのであればそれに越したことはありません。



では、死を恐れないほうが得だからという理由で死後の世界を信じるのはありなのでしょうか。
死後の世界の存在を主張する人の中には、その理由で自らの主張を正当化する人がいます。
彼らの言い分は大まかにはこうです。

(死が消滅である場合)
死後の世界を信じている人(①)→生きている間に不安はない。そして死後に自分の過ちを知ることもない。よって幸福である。
死後の世界を信じていない人(②)→生きている間に不安にさいなまれる。そして死後に自分の正しさを知ることもない。よって不幸である。

(死が消滅ではない場合)
死後の世界を信じている人(③)→死後に自分の正しさを知る。おまけに生きている間に不安はない。よって幸福である。
死後の世界を信じていない人(④)→死後に自分の過ちに気づく。おまけに生きている間は不安にさいなまれる。よって不幸である。

(結論)
いずれにせよ、死後の世界を信じたほうが幸福である。

もし死に恐怖を感じないのだとしたら、その人は恐怖にさいなまれているよりは幸福であるのは確かでしょう。
しかし、この論証をそのまま鵜呑みにできるかというと、難しいものがあります。



まず一点、上記の論証では①のほうが②よりも優位であるとは、必ずしも言えないと思うのです。
確かに①の人は不安を感じているわけではありません。
その点で、①の人は不幸ではないように見えるのですが、やはりその人も消滅してしまうのだとしたら、すごく不幸であるように感じられるのですよね。
死んで消滅するならば、どっちにしろマイナスじゃんか、と。
むしろ自分の置かれている状況を正しく認識できていないのだから、その点ではある意味、②よりも①のほうがより不幸といえるかもしれません。

そしてもう一点、③のほうが④よりも上記の論証においては優位とされていますが、それもどうも私には疑わしいのです。
仮に死後の世界があったとして、そこがあることってそんなにいいことなんでしょうか?
死後の世界を信じている人は、「死後の世界は自分にとって善い世界である」と信じているがゆえに安心を感じているのでしょう。
もし死後の世界が地獄だったら、安心を感じることはできませんから。
しかし、それがどうも楽観的過ぎて、自分にはうさん臭く思えてしまうんですよね。
実際死んでみたら、死後の世界がこんなに酷い場所だったなんて!と思うこともありうるのではないでしょうか。
(死後の世界を素晴らしいと思ったほうが得なのだから、素晴らしいと思えばいいと言われたらそれまでですが。)



まあとはいえ、上でも述べたように、不安というのは一般的に見れば無いに越したことはないわけで、そういう意味で死後の世界を信じること、そしてその世界が素晴らしい世界であると信じることには一定の価値はあるのでしょうね。
しかし確かに理屈ではわかるんだけど、本気で死後の世界を信じられるかというと「う~ん・・・」という感じですね。個人的には。
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