脳内交響曲

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26 2010

昔の作品集

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脳内交響曲、最果ての地へようこそ。
此処では、ブログ開設以前(2008年~2010年)の作品を公開しています。
以下の作品は、まだ私がいわゆるオタクだったころに描いたものです。
正直、他人に見せるのが小っ恥ずかしいものばかりなのですが、
消してしまうのもなんだか勿体ないので、こっそり此処で公開することにしました。

ただし、作品の雰囲気が現在のものとはまるで異なります。
特に萌え系の絵が嫌いな方は、拒否反応を覚えるかもしれません。
なのであまり期待せず、違う作者の作品だと思って鑑賞することをお勧めします。

カラーイラスト(背景あり)
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カラーイラスト(背景白抜き)
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モノクロイラスト、線画
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いかがでしたでしょうか。
多分これらの作品を見て、以降の作品とのギャップに驚く人もいるんじゃないでしょうか。

絵柄が変わったのはおそらく、私の人生観、人間観が変化したからです。
私は嘗て、活発な性格で絵も明るい物が多かったです。
しかし色々あって、今では陰気な人間になり下がり暗い絵しか描けなくなりました。
作者の気分というものは、作品に如実に反映されるものですね。

多分人に受けがいいのは、美少女とか美人とかいった類の絵なのだろうと思います。
ですが、恐らく私がそういう作品を描くことはもう二度とないでしょう。
なぜなら、様々な要因によって、私は人間を描く資格を失ってしまったからです。
(2016.01.28)

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4 Comments

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2016/05/28 (Sat) 12:44 | EDIT | REPLY |   

ぶち丸  

皓己さんへ

> ふむぅ、なり下がり、ですか。
> じゃあまた明るい絵を描きたくなるかもしれないんですね!
> いやあしかし絵の批判ってやっぱりぱっとは思いつきませんね。
> 美少女だったら指摘できる~なんて思ってましたがなかなか。
> 「次に出品するものはこれなんだけどどう思う?」などのシチュエーションだとまた話は変わってくると思いますけど。
> これだけ書けたなら同人イベントを共に楽しむこともできただろうに、と思うばかり。
>
> 描く資格はどのように与えられどのように失ったのですか?
> 自身の心のどこかで「書かない選択が正しい」となっておられそう、違うなら良いのですけど。

我々は出会うのが遅すぎたかもしれませんねえ・・・。
いや、まあ落書き程度に美少女を描いたりはするのですが他人に見せるのは気恥ずかしさがあるというか、独占欲が先行してしまって他人に見せるのに躊躇いを感じるというか、そんな感じですね。
あとは昔描いた作品で金銭が発生したときにその少女というかキャラクターを自分の金儲けの手段にしてしまったことに対する猛烈な罪悪感が生じて人間を積極的に描かなくなったというのもありますね。

> しかし美少女を今書いていないという状況で昔の美少女絵を上げると、私もなんだかこっぱずかしくなりました。
> 世間一般がオタクを見る目とはこういったギャップで感じることができるんですかね。なんだ私もオタクだなあ。
>
> 絵が美少女ってだけでオタク的に思われガチですけど、料理オタクだとか何でもあるのに、美少女を好んで描くからロリコン的気持ち悪さを感じるんでしょうね。
> 一般だって子供や子猫を可愛いとか裸同然のなんちゃらモデルと綺麗カッコイイとか思うくせに、と自分らを客観視できない一般に憤りを隠せないw

美少女オタクに対するイメージが悪化したのは嘗て事件があった時にその犯人がオタクだったから、とかそういった事情が絡んでいるんでしょうね。
まあ有害な人は一部にはいますけど、大多数の人は犯罪はおろか道徳的に日常を送っているわけで、にもかかわらず白い目を向けられるというのは言いがかりと言うか、差別・偏見以外の何物でもないですよね。

> 誰に受け入れて貰えるでなく書きたいものを書いてるぶち丸さんを見習いたいです。
> どうもチキンで人からの反応を優先してしまいがち。まあ同人ならば少しは手にとって貰いたいと思うのが普通の気持ちでしょうけど。

まあ美少女を描くと他人によりチヤホヤしてもらえるようになるというか、承認されやすい傾向があるように感じるのですが、そこで得意になってしまうとやはりその美少女を道具と見做しているにすぎないわけで、対象に対する愛がまるで欠けてしまうんですよね。そういった要因もあって現在では私は人間の絵は新しく公開しないでおこうと思っているわけです。

誰にも認められなくてもいい、今は心からそう思って積極的に一般から離れた絵を描こうと必死になっている感じです。

> ゆくゆくは人じゃないものを書きたいなあ。色フェチ、カーブフェチなもので。
> 草間彌生さんみたいに、丸が何個もあるのは好みではなく、一つか多くて三つくらいの美しい丸および曲線が好き。
> おそらく女性の曲線美とか、美の基本に基づいていると思うんでとても稚拙な感性ですけど。だから結局エロスだけどゆくゆくはエロスの原型をとどめないところに行くのが私のスタイルだとちょっと見通してしまった。

私は今現在欲求を否定する方に重きを置いているというか、心理的に負け犬の雰囲気がプンプン漂っている感じなので、せい欲を積極的に肯定をできる皓己さんに正直に言うと激しく嫉妬しますね。
ああ、私もああなりたい、という羨望の対象みたいになっている感じです。

原形をとどめない所まで変型させた完成系を是非見てみたいのですが、そこまで行き着くには時間がかかるかもですねえ・・・。
やはり丸とか曲線を見るだけでせい欲を爆発させるには、そうとうな修行が必要な気もしますし。

2016/06/16 (Thu) 17:20 | EDIT | REPLY |   

皓己  

ぶち丸さんが以前は美少女絵を描いて以前イベントに参加していたと聞くと、確かにその頃に出会っていればあれやこれや出来たのに~って感じがしますねえ。
独占欲というのは、自分が描いたものを披露するには人からの感想が付随するもので、そのように扱われたくない感じでしょうか?
独占欲という表現では僕自身ピンとこないんですが、自分が生み出したものを上手く描けたぞ!と思って展示したい時、「反応がないのもそりゃそうでしょうね自己満足ですもの、でも自分は自分で良いと思うし別にそれでいい」って感じがして、人に見せる為に描きたい欲と違って葛藤するところがあります。
そもそも人に見せたい感覚がなんだか分からなくなりましたけど。結局人に受け入れられるだろうみたいな歩調を合わせたもの、みたいな。


そうですねえ、どういう価値観でこのような状況に陥ってるか分かりませんがマスコミの報道の仕方もそのように見受けられる関連付け方をするようだと、話題になっていますしね。
美少女オタクが随分男性だけでなく女性にも浸透してきた事で偏見だ!と声も大きくなってきたのか分かりませんが、そういえばリョナラーを自覚して暫く、猟奇的な絵を描く人が犯罪を犯すというニュースはそんなに聞かないような。
若しくはリョナもオタクの中に含めて報道されているのかな。
ジブリなんて宮崎駿がロリコンを公言しての事か分かりませんが有名な話ですのにね、もしあったとしてもジブリの映画が多数押収とは言わないんでしょうね。



うーん、確かに、人物を描くとチヤホヤされる傾向はなんだかありますね。
絵を描かない人とは発言が衝突する事から、絵を描く人だけ繋がりましょうとツイッターの傾向を模索してみたんですが、結局は昔描いた人物の作品に食いついてもらってる感じで。
しかしながら私も、臆病ゆえに(私を見て!が強く攻撃的…。してるつもりはないのでしょうけど。)それなりの技量でお話したい繋がりたい気がすると、フォローやいいねをしがち。
折角魅力的な絵を描かれるのに、描いた本人がなんだか公開したくないという気持ちになるのは残念なことですが、何か良いきっかけにより緩やかになると良いですね。「人物絵を上げてみようかな」のみならず。

誰に認められなくてもいいって作品を作る事は大変気持ち良いですよね…。
作品を作る心構えはそれで大変筆がのるのですが、これもまた私は公開する時、誰にも認められないものを飾るとはなかなか恐怖で。つい人物の絵を置いてこんな絵も描いてました…って、閲覧数の予防線をしてしまいます。
まあ人物絵に興味を持った人が、たまたま視界に入って、コレも良いじゃん、って感じで受け入れられれば美味しいかなという魂胆でもありますが。自分プロデュース…的な。


はは~、なるほど。負け犬感は性欲を否定しても肯定しても捉え方によって発生すると思いますね…。
いや~~何をおっしゃる、こちらこそ性欲を否定してみせるぶち丸さんを羨望していますよ、無いものねだりじゃないですけど、面白いですね(笑)

そうそう、羨望や理想や妬ましい?って気持ち、思えども実現不可能というより、可能であるけど自分がしたいと思えないところ、ないです?
私は基本的には願った事は実現しようとする性格のようなのですが、どういう心境が働いたものか分からないけど、物によっては要らないのに欲しいとする感じ。
例えば恥ずかしい話23頃このままでは将来が危ないと思って婚姻可能である異性に興味を持つ事を必死にした時、男女恋愛は嫌悪でありながらそれが楽しいとする感覚を覚えてみたい欲望はあった訳です。今も変わらず嫌悪傾向ですが、楽しいさえ味わえればいいので問題なく。
ですから、例えばぶち丸さんを羨望するも、ぶち丸さんになろうとする事とはちょっと違うく、自分にどう生かせるか、自分にもし取り入れるならどの部分をどの程度影響を受けてみようか、みたいな感じがあり、それが恋を抱いて想いを寄せるように「アノヒトならこんな時どんなことを思うだろう」と考えるのが楽しいですねえ。まずこんな思考自体、恥ずかしい事ではありましょうところがね、僕は都合が良いというか、恋愛がダメなら人として尊敬する、それなら別に性交渉を求めても道徳的に許されるんでしょ?って社会に喧嘩売ってるところありますね(笑)


あはは~、ほんとですね、原型をとどめない所は凄く遠そうです。何たって、丸や曲線で性的興奮が満たされてしまうくらいに、その状態がもう私の中のエロスですから。あとは技量を身につけて思う存分キャンバスにぶつけたいだけ。
それができてきてやっと「丸や曲線が見受けられないけど性嗜好が変わったの?」とたずねられて、丸や曲線が目視できないだけでそこにあるよ、と申せるようになるというか。なんとも妄想段階ですけど。


ブログもツイッタも静かですね、またお話しましょう、いえしてくださいよ~なんつって、差し出がましいことを言ってみたり。力不足でありましょうけど~。

2016/08/17 (Wed) 13:57 | EDIT | REPLY |   

ぶち丸  

皓己さんへ

実際のところオタク文化には、自分がかつてそれ(オタク)であったこともあり、結構未練タラタラなんですよね・・・。
今でも普通に漫画とか読み漁ったりしますし、不意にキャラクターの絵を描き起こしたりします。
が、別に人に見せたりはしない、と言う感じですかね。
その活動が自分の年齢不相応な感じがするから、恥ずかしさゆえに、他人にそれ(妄想の産物)を見せつけるということはしなくなったのだと思います。多分。

独占欲と言うのは要するに「独り占めしたい感覚」とでも言えるかもしれません。
この独占欲と言う言葉を用いた時の心情が、実は、今の自分にもピンとこない感じですね・・・。
多分昔の自分はキャラクターを他人に見せたら二次創作でもてあそばれるかもしれないことを危惧して、「独占したい」という表現を使ったのだと思います。

この考え方は現実に存在する人物と架空のキャラクターが存在のレベルとしては同一であるという私の倒錯した価値観に基づいています。
即ち自分の作ったキャラクターが例えば凌辱されるということは、現実で実の娘がレイプされることと心理的なショックが生みの親たる作者にとって等しい、そう言う風にも考えられるわけです。

で、親としてこんな薄汚れた世の中に自分の子供(キャラクター)を放流するべきか?と自問自答した結果、嘗ての私はキャラクターの絵を公開することはやめよう、と決意するに至ったわけです。
この決意は意識の中でキャラクターと実際に対話した上で固まったという一面もあります。
結局私としては、一番肝心なのは、そのキャラクター自身が世にでて評価に晒されること同意するかどうか、だと思うんですよね。

まあでも、こういう話を普通の人の前でしたらドン引きされて距離を置かれるのは必至でしょうね・・・。
キャラと対話するとか常人からしたら理解できない体験でしょうし。
とはいえ私のキャラに対する愛は極めてプラトニックで暴力とか性欲を抜きにしたものだし、加えて現実の人々にそれ(愛)が向けられることは(私自身が現実世界に価値を感じていない人間なので)まずないので、犯罪に結びつくということは絶対ないんですけどね。
ただ一部の人がキャラクターを欲のはけ口にして、それで満足しきらず、現実の異性に手を出してしまうというケースは極稀にあるでしょうね。
殺人犯が猟奇的な内容の同人誌を嘗て出してた、みたいな話も聞いたこともありますし。

あとやっぱ上に書いた内容に関連しますけど、自分のキャラクターを自分の評価を高めるための道具として扱うというのが許せないから、自分はキャラクターの絵を発表はしない、という気持ちはありますね。
だから自分がもしキャラクターの絵を公開するときが今後来るとしたら、「そのキャラクターを使ってお金が欲しい」とか「名声を高めたい」とかいった低劣な動機からではなく「この子(キャラクター)が世の中に認められて欲しい(自分では無くキャラクターが承認されてほしい)」というキャラクターの幸せを第一に考える純粋な心が動機となる場合のみに限られると思います。
まあその時が来るかどうか?は現時点ではわかりませんが・・・。

ただ、そう言う時が来たとしたら、「別に認められなくていいや」と強がってしまうわけにもいかないでしょうね。
なぜなら作者が最もその子を見栄えよくしない限り(形式を整えない限り)、他者にその子が承認されるということはありませんし、親には適切な環境(衣食住、社会的な役割等)を与える義務がありますから。
最終的にキャラクターが世の中に出ていくことになって、だらしない格好だったり、或いは容姿が醜かったりするのだったら、格好がつかないでしょう。
キャラクターを愛しているのならば、「この作品(キャラクター)は認められなくていいや・・・」と作者が思ってしまうのは、やはり自己欺瞞ではないでしょうか。
少なくともそのキャラクターが特定のそ層の支持すら受けることが出来なさそうな場合は、作品の公開は控えるべきでしょうね・・・。
(もしキャラクターを世の中に出して、誰にも評価されなかった場合、作者はもちろん、そのキャラクター自身も心的外傷を負ってしまう危険性もあります。)

まあ要するに、何が言いたいかと言うと、作品を発表するからには自信を持つこと、悪いところは極力無くすこと、そして何よりその作品(キャラクター)自体を心の底から愛すること、これが創作する人にとって肝心と言うことですね。

あとそうですね、人物画を公開して人物画以外の絵(誰に認められなくてもいいって作品)も見てもらおうという目論見について言及しますと、これが正しいかどうかは場合によって変わると言えるでしょう。
即ち、もし、皓己さんがその人物画の人物に愛着があるにもかかわらず、その人物を手段として、人物画以外の絵の評価を高めようとするのならば、その目論見は絶対的に正しくありません。
このようなことを行った場合、その作品の作者は人物画の人物の尊厳を著しく傷つけることになります。
だから我々の直観に基づいて、このような行為の不当性は明確に示すことが出来ます。

一方でではどういう場合なら許されるか?と言うと、それは皓己さんがその人物画を単なるモノと見做しており、其処に人格などまるで存在せず、道具としてその人物画を扱ってよいと腹の底から確信している場合に限られるでしょう。
このような場合であれば、たとえその人物画を手段として扱っても、損なわれる人格の尊厳はありませんので、何も問題はありません。

ただその場合であってもやはり、最終的に評価されるべきと皓己さんが考える「誰にも認められなくてもいい作品」を誰にも認められない形式のまま世の中に放り出すことは、その作品に人格としての地位を与える限り、やはり不当と言わざるを得ません。
私がキャラクターに実際の人格と同等のそれ(人格)を認めるということは上で何度も言及した通りですが、だからといって人格が認められる架空の存在は、キャラクターに限る必要はありません。
即ち別にただの物、乃至は何だかよく分からない抽象的な対象に対して人格を認めても良いわけです。
(いわゆるアニミズム的な考え方です)

とすると、もし皓己さんが、その人物画でない絵画に、他者から評価されうる適切な形式を与えてあげなかったら、たとえ人物画の効果によってその人物画以外の絵画の閲覧数が伸びたとしても、皓己さんがその絵画に人格としての地位を認める限りにおいて、やはり不正を犯しているということになるでしょう。
(最もこの考え方はあくまで私の個人的な信念に基づいており、必ずしも絶対ではありませんが)

・・・で、大分話がそれてしまいましたが、最後に一つだけ。羨望や理想について。
正直のところ、今の私には他者に対する羨望とか理想と言ったものは正直ないです。
これはまあ、私がまあ虚無主義者だからなのですが、実際のところあらゆる理想って幻みたいなものではないでしょうか?

人間の欲望には限りが見えません。
つまり生理的欲求を抜きにすれば、ここまですれば十分、という究極的な目標はないのですが、にもかかわらず、我々はこの存在しない理想を追い求めるように出来ています。
そして人間の思考、想像力は未来を捉え、そこにあるべき自己を見出そうとします。

これは別に通常生活する限りにおいては何ら支障はないのです。
なぜなら日々我々が生きていくためにはやらなければいけないことはある程度確定しており、それをこなさなければ生きていくことが出来ないのですから。
一時的な目的という考え方は、死が差し迫っているという我々の本性からして、あってしかるべきなのです。

しかし、それが超長期的な目標になってくると話は違ってきます。
我々の想像力には時間的な限界がありません。
だから我々は何百億年と言う限りなく長い時間も思考の対象とすることが出来ます。
しかしこの永劫の中で我々の生の目標とは一体何なのか?
我々はこの問いに答えを与えようとすると途端に回答に窮してしまいます。

実際この遥かな時空の中で自分の占める位置はたかが知れており、その結果私は最終的に人間の理想形というイメージを完全に放棄するに至りました。
故には最早羨ましい人間は一人もいないし、この世界にはあるべき形もない、という結論に達したわけです。
だから私は究極的な理想や羨望について正直のところ言及することすら出来ません・・・。
(そもそも人間がこの宇宙に存在する必要すら無かったということは自明でしょう)

ただ絶対的な理想というものが存在せずため息が出てしまうのは仕方がないとして、より相対的な生き方の理想位なら持てるかもしれません。
そうなると実は世の中には結構個人的に羨ましい人がいたりします。
例えばそうですね・・・「陰鬱で邪悪で魔界的な作品を作れる芸術家・なんかは、実際になれたらすごく良さげですね。
まあ究極的な理想ではないのですが、それになれたらこの上なく嬉しいことは間違いないでしょう。

ただ皓己さんのおっしゃる通り最終的には「なること」が重要なのではなく、自らが「すること」が重要であるというのは間違いないでしょう。
ならば具体的な理想も自分で作ってやる!というくらいの気概をもって、他者に影響を受けつつ自分の未来を実際にクリエイトする、という心構えは絵を描く人間にとって不可欠ですね。
(最も私は恋愛に関してはまるで興味が無いので、それに対する理想みたいなものは全くありませんが・・・。)

2016/10/07 (Fri) 15:42 | EDIT | REPLY |   

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