脳内交響曲

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18 2011

何故人は死ななければいけないのか

Cold Ways

我々は全員、「生まれていずれぬ」という運命を背負っています。
何時までたってもなない永遠の生というあり方もできたはずなのに、いつか永久に意識を喪失しなければなりません。
では、そこで尋ねますが、「なぜ我々はななければいけないのでしょうか?」
別の言葉で言えば、「なぜ我々はぬというあり方で生まれてしまったのでしょうか?」

私は日頃からこの問題について悩んでおり、他人にしばしば回答を求めます。
しかし、私にしっくりくる回答は中々ありません。
様々な言葉に耳を傾けても、「どうせぬんだなあ・・・」と人生の理不尽さをますます実感するばかりです。



例えば、宗教とかスピリチュアルの方々は「業」という考え方を持ち出します。
「生き物を殺す罪があるから」とか、「生前に悪いことをしたから」とかいった風に、彼らは私の問いに対して回答します。
要するに、人間は生まれながらにして罪を背負っているというわけです。
だから、人間(生物)はななければいけないというわけです。

しかし、これは私からすれば問題の答えになっていません。
業とか縁起とかは(正しいかはともかく)「世界がどのような在り方をしているかいるか?」という問いへの回答ではありますが、
「なぜこの世界が今このようなあり方をしているのか?」という問いへの回答に全くなっていません。
全ての生命が罪を背負っていない世界でも良かったはずです。
また罪を背負っていても死なないという世界でも良かったはずです。
にもかかわらず、「何故罪を背負っていて、そして死ななければいけない世界に生まれたのか?」
私はこれを聞いているのです。



また、そもそも前世の業などという有るのかないのか分からないものを、何故存在すると見做してしまうのかがよく分かりません。
前世からの因縁とか確かめようがありませんし、殺生が悪いというのは人間の決めつけでしかありません。
この点も、業というアイデアが私を納得させられない理由の一つです。

また別のありがちな回答として「人は実は死なない、本当の自分は死なない」というのもあります。
しかし、死後の世界があるというのは業が存在する、ということと同様に不確かです。
生きている人は一度も死んだことがないのだから、死んでから死について語ることが出来ないのだから、「死んでも失われない本当の自分はある」とか、「死後の私は生前の私と同一である」とかいった断言は出来ないでしょう。



一方、哲学系によくあるのは、「死は生の外にあり、生きた我々とは無関係」といった類の回答です。
哲学者はしばしば、問題の立て方自体のおかしさを指摘します。
そして彼らからすれば、「なぜ我々は死ななければいけないのでしょうか?」といった問いは、そもそも問い自体に問題があり回答するに値しないというわけです。

しかし、私は生きている者が死について考えるのは妥当だと思います。
だって我々は死(無)を全く知らないわけではないのですから。
我々は睡眠中の記憶がないことや、物心つく前の記憶がないことから、自己の存在していない時間があると把握しています。

そして、私が問題視しているのは無と言う状態それ自体ではありません。
私が問題視しているのはこれから(知らないうちに)死ななくてはならない、ということです。
無それ自体ではなく、「無にならなければいけない」ということ(有から無への移行)が問題なのです。
今私は生きていてまだ有であり、いずれ死んで無にならなければいけないという実感が確かにある以上、死はやはり切実な問題と言ってよいはずです。
なので、死が生きた者と無関係であるという回答では私を納得させることはできません。



またPixivというサイトである方が、「死ぬのはこの世が辛いものだから。」という風に回答してくださいました。
この世が辛いから人間は死ぬ、という回答は二つの解釈が可能です。
一つはこの世の辛い状況のせいで人間は死ななければいけないという解釈。
そしてもう一つは、辛い状況から脱するために死によってこの世を離脱するという解釈。

しかし、いずれの解釈であっても、この回答では私の問いに対する回答としては問題アリです。
なぜなら、「では何故、こんなつらい世にそもそも生まれなければいけなかったのだろうか?」という風に問題が置き換わるだけだからです。
この新たに出てくる問題に対し「この世に喜びがあるから」と回答してしまうと、「この世が辛い」という前提と矛盾してしまいます。

そして、この世がつらいというのは主観であり必ずしも客観的に言えるわけでは有りません。
経済的に、また人間関係に恵まれていてこの世がつらくなくても人は事故とか殺人とかでいきなり死んでしまったりします。
なので、「死ぬのはこの世が辛いものだから。」というのは理由としてはやはりおかしいです。



またある方は、「のちの世代のため死んでいく責任があるから」人は死ななければいけないと回答してくださいました。
人間が増えすぎてしまうと、人口爆発によって子孫が生きていけないというわけです。
しかし、この回答も宗教やスピリチュアルと同様に問いをとらえそこなっています。
もっと地球が大きくてどれだけ人が住んでも問題がないような世界でも良かったじゃないですか。
人間が不死の存在で数が常に一定数に保たれている世界でも良かったじゃないですか。
にもかかわらず、「なぜ、この世界が今のあり方をしているのか?」
この問いに対する回答を私は知りたいのです。
しかし、やはり問の答えは見当たりません。

今のところ「なぜ我々は死ぬというあり方で生まれてしまったのか?」という問いに納得できるような答えは、どうも無いような気がします。
即ち、このままいくと「人は何の意味も無くこの世に生まれ、そして何の意味も無く死ななければならない。」というのが真理ということになりそうです。
非常に悲しい現実ですが、我々はこれを否が応でも受け入れるしかないのかもしれません。

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