脳内交響曲

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09 2014

死の恐怖を克服する方法:何かに没頭する

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死が異様に恐ろしくなってしまったときの対処法はいろいろあると思うのですが、一番楽で有益な対処法は「何かに没頭する」というものでしょう。

死は結局のところいくら考えたところで、絶対回避不可能な事態であり恐れたところで何も意味がありません。
だから、そんなどうしようもないことを考えるより、どうにかしようがあることだけを考えよう!という選択肢が我々に開かれているわけです。

死の恐怖というのはつまるところ、あれこれ考えるから生じるのであって、何も考えなければ恐怖が生じることはないものです。
だから死の恐怖を克服するうえで「何かに没頭して、頭を空にする」というのは一番現実的な選択肢といえるでしょう。

何かに没頭するときに人が関心を向ける対象は様々なものがあります。
例えば次のような活動の数々はその典型でしょう。

・生活を豊かにすることに励む
・社会的な地位の向上
・社会の変革
・食欲・性欲などの快楽を満たす
・芸術・創作活動に没頭する。
・宗教的な修行や瞑想等
・金儲け
などなど・・・。

こういった活動に精を出している人ならば、少なくともその活動をしている間は死の恐怖から解放されることができるでしょう。
或いは快楽を追及することによって、死の恐怖を打ち消すほどの幸福を得られる場合ももしかしたらあるかもしれません。
(もういつ死んでもいい!それぐらい幸せだ!みたいな。)



ただ、この方法には二つの難点があります。

まず一つ目の問題は「いざ死が迫った時に、死の恐怖がぶり返してくるかもしれない」ということです。
実際のところ頭を空っぽにしたところで、自分が死ぬという問題が解決したわけではありません。
死の恐怖を忘れるということはただ単に問題を棚上げにしていることにすぎず、問題の根本的解決はやはりどうやったってできないものです。

忘れていようが忘れていまいが人は必ず死んでしまうのであり、そしてその死によって未来を永遠に奪われます。
たとえ何かに没頭したところで、その没頭自体は死の悪さを寸分も軽減しません。
だから、死が迫った人は仮にどれだけ快楽を得てきたとしても、やはり死の間際に死の恐怖に襲われるでしょう。
むしろ快楽を善と考えているからこそ、死が自分にとってより一層悪く感じられることも十分考えられます。
(死イコール未来の快楽の抹消ですから)

しかし、仮にこのような(死が迫った)場合でも、没頭を死ぬまで続けることが出来れば死の恐怖を一切感じないことは理論的には可能でしょう。
そういう場合はその没頭し遂げた人の勝ち逃げ?と言っていいのかもしれません。

ただ「何かに没頭する」という方法を実践したことによって、死の恐怖が本当に現実的に克服できるかというと、それはやはり疑わざるを得ません。
仮に本当に死の恐怖を克服できている人ならば、そもそも何かに没頭しよう!などとは考えないでしょう。
つまり何かに没頭している限り、その没頭している人は死の恐怖から逃れられてはいないのでは?と私には感じられるのです。

死の恐怖を感じて意図的に何かに没頭している限り、その没頭は結局のところ死の恐怖を感じていることの裏返しにすぎません。
だから、もし仮に死の恐怖を没頭によって抑え込もうとするならば、「没頭しようとする意志」それ自体すらも手放す必要があるでしょう。

そして、もしそのようなことが可能であるならば、人はその時はじめて死の恐怖を克服できるのかもしれません。
(もっとも自分の意志を捨て去るというのは、それはそれで私には恐ろしく感じられますが。)

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