脳内交響曲

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category: 死について  1/4

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生きることそれ自体の価値

死について思ったことがあるので、今回はこのことについて少し書いておく。前回の記事で私は死の恐怖の克服について書いた。そして、その結論は「死の恐怖を克服することは可能でありうる」というものだった。「自分の人生を充実させれば、その人生は短く終わろうと良いものであることに変わりないのだから、死は怖くない」この結論に納得できるか出来ないかは人によるにせよ、自分は当時素直にそう感じたのだ。だが、自分の人生を...

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過去の記事の編集をしていました

どうもこんにちは、ぶち丸です。タイトル通り、過去の記事を地道にいじくっていたので、簡単にいじくった内容をここでまとめておきます。・死の恐怖の克服法について過去の記事の内容をいくつか消去して、別の内容に差し替えました。そして、差し替えた内容はおおむね「死の恐怖の克服法」に関するものです。普段我々は自分が死ぬことなど忘れて暮らしています。しかし、死は誰も逃れることができない事態であり、我々はもし仮に今...

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死の恐怖を克服する方法:自分が正しいと信じる生き方を貫く

死は全ての人にとって切実な問題であり続けてきたし、これからもあり続けるだろう。人が存在し続ける限り、死は未来に必ず起きる事態であり、また全ての人にとって有害なものでありうる。死はあくまで観念的なものにすぎないと強引に考えることもできよう。だが仮にこれを幻想だと思い込もうとしても、現に周りの人が次から次へと死んでいっている以上、恐怖は払しょくしがたいものがある。では、我々にとって死はなぜ恐ろしいのか...

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死後の世界を信じたほうが得なのか?

我々は生きている間に死について思いを巡らせ、そのことによってしばしば悩みます。例えば、病気などによって自らにどうしようもなく死が差し迫っているときや、身近な人が死んだりしたときは、死を有害視するのは当然のことでしょう。或いは、自分が積み上げてきたものを無に帰してしまうがゆえに、死を有害視する人もいるかもしれません。そして、死について思い悩むことは人生に支障をきたします。上記の例に関して言えば、相当...

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死の恐怖を克服する方法:他者の死について思いを巡らす。

「自分の死」の恐怖を克服するには「他者の死」を引き合いに出すという方法をとるのもアリなのかもしれない。日常を振り返ってみれば明らかだが、我々は孤独に何かをするのを拒む習性がある。仮に一見ろくでもない慣習であったとしても、自分以外の人間が全員それを実践していたら、どうしてもそれを自分も実践したくなるだろう。自分だけが間違ったことをしたくない、正しいことをしたい。こういう感情は我々にとって先天的なもの...

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死とは何か、人は死ぬとどうなるのか

普段は忘却しているものの、死は誰にとっても切実な問題であり、第一級の関心ごとであるかと思います。では、人は死ぬとどうなってしまうのでしょうか。死は我々にとって恐ろしいことなのでしょうか。こういった問いに答える前にまず、我々にはしておかねばならないことがあります。それは、死がどういう事態であるのかについて定義をすることです。死は経験不可能であるがゆえに(或いは、まだ誰も死んでいないために)、人によっ...

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特別な死などない

死に優劣をつけている人に違和感を覚えます。例えば、「癌とかで死ぬのは嫌だけど、老衰なら良いや!」なんて楽観的に考えている人は多いんじゃないでしょうか。また報道関係者は、(有名人以外の)病死はろくに取り扱わず、事故死や災害死、殺人事件ばかりを大きく取り上げます。こういった具合に良い死と悪い死がある、みたいな区別をする人の心理が私には理解できません。私は、全ての死を絶対悪であると考えています。事故死や...

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