脳内交響曲

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tag: 死の恐怖  1/2

人生を充実させても死の恐怖を克服することは出来ない

前々回の記事の最後の方で私は「人生を充実させるという死の恐怖の克服法にはいくつかの問題があり、以降の記事でこの点について説明していく」と書きました。そして、そう書いてから半年近くも記事を更新をしていなかったわけなんですが、今回の記事では重い腰を上げて、ようやくそのことについて書いていこうと思います。なぜ、人生を充実させても死の恐怖を克服することが出来ないのか。これについては死ぬ間際の自分を思い浮か...

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生きることそれ自体の価値

死について思ったことがあるので、今回はこのことについて少し書いておく。前回の記事で私は死の恐怖の克服について書いた。そして、その結論は「死の恐怖を克服することは可能でありうる」というものだった。「自分の人生を充実させれば、その人生は短く終わろうと良いものであることに変わりないのだから、死は怖くない」この結論に納得できるか出来ないかは人によるにせよ、自分は当時素直にそう感じたのだ。だが、自分の人生を...

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過去の記事の編集をしていました

どうもこんにちは、ぶち丸です。タイトル通り、過去の記事を地道にいじくっていたので、簡単にいじくった内容をここでまとめておきます。・死の恐怖の克服法について過去の記事の内容をいくつか消去して、別の内容に差し替えました。そして、差し替えた内容はおおむね「死の恐怖の克服法」に関するものです。普段我々は自分が死ぬことなど忘れて暮らしています。しかし、死は誰も逃れることができない事態であり、我々はもし仮に今...

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死の恐怖を克服する方法:自分が正しいと信じる生き方を貫く

死は全ての人にとって切実な問題であり続けてきたし、これからもあり続けるだろう。人が存在し続ける限り、死は未来に必ず起きる事態であり、また全ての人にとって有害なものでありうる。死はあくまで観念的なものにすぎないと強引に考えることもできよう。だが仮にこれを幻想だと思い込もうとしても、現に周りの人が次から次へと死んでいっている以上、恐怖は払しょくしがたいものがある。では、我々にとって死はなぜ恐ろしいのか...

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死の恐怖を克服する方法:主観的視点を捨て、客観的な視点を持つ

我々は通常死を拒み、これを恐れる。だが、この感覚は恒常的なものではなく、ふっと薄れるような機会があると思う。例えば日常に埋没しているときや、他者と関わっているときなどは、死の恐怖は薄れる傾向が強い。少なくとも私の経験に基づけば、死は常に恐ろしいものというわけではなく、ある時は恐ろしく感じられたり、ある時は恐ろしく感じられなかったりするものだ。このように価値観がうつろうのは、人間が二つの世界の見方、...

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死の恐怖を克服する方法:エピクロス主義

今回は、古代の哲学者のエピクロスの提示する死の克服法を見ていきましょう。彼は次のように述べることによって、死は我々にとって全く恐ろしくないことだ、と主張します。「・・・死は、それが現に存するときわれわれを悩ますであろうからではなく、むしろ、やがて来るものとして今われわれを悩ましているがゆえに、恐ろしいのである、と言う人は、愚かである。なぜなら、現に存するとき煩わすことのないものは、予期されることに...

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死の恐怖を克服する方法:自然に消えるのを待つ。

このブログでは死の恐怖の克服についての記事をいくつも書いている。だが、一方で具体的に何か意志を持とうとか、行動をするとかせずともいいのではないかとも最近思うようになってきた。例えば、老人になると人は死ぬことに対する恐怖がなくなる場合があるらしい。実際に私は何度か「若いころは死ぬことが怖かったのに、今ではもう全然」という老人を見てきた。一見信じがたいことだが、彼らは死が間近にも迫っているにもかかわら...

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