脳内交響曲

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19 2016

人に好かれることが幸福であるとは限らない

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親密な人間関係を築くということは重要でしょうか?
自己にもたらされる利益という観点から見れば、ほとんどの人はこの問いに対してイエスと答えるでしょう。
人の信頼が得られれば、自分にとって都合のいいように物事を運べる確率があがります。
そのため、「少なくとも関わっている人から嫌われないに越したことはない」と多くの人は考えるのではないでしょうか。

ただ、人に好かれたり信頼されることが無制限に良いかというと、そうはっきり断言するのは私には難しいです。
もちろん多くの場合、好かれたり期待されることが良いことであるとは私も思います。
ただ一方で、好かれるということは一種の重荷だなあと思ったりもするのです。

相手に期待されるということは、すなわち「相手の期待通りの自分を演じ続けなければいけない」ということでもあります。
何らかの才能がある人や、自分を演じることに完全に慣れ切っている人は、必ずしもこれが負担になるわけではないでしょうが、大
半の人はこれといった才能もなく、人に好かれるためには大変な努力をしなければいけません。
これが(少なくとも私にとって)人生の不幸の原因の一つだなあと感じる部分があるわけです。

そして、相手に過度に好意を持たれることの何よりいやな点は、相手の期待にこたえきれなかったときに攻撃を受ける恐れがあるということです。

人は信じている相手に対して、過大な期待を抱きます。
私からすれば人が失敗することや、ダメなところがあることはごく自然なことだと思うのですが、しかし、他人の力量を人は過大視してしまうところがあるのですね。
「あなたはそれぐらいできて当然でしょ!」とか「私でもこれぐらいできるのになぜあなたはできないの!」といった具合に。
所詮他人同士であるが故の宿命と考えればそれまでなのですが、相手の能力を過大視するひとは世の中にごまんといて、彼らはしばしば私をうんざりさせます。



だから人間関係は、常に深まれば深まるほどいいというわけではないと個人的に思うのですよ。
すなわち適度に距離を置いた、互いに干渉しすぎない、自然消滅しない程度の、必要最低限度の、他人と友人の中間ぐらいの関係こそが最も理想的なのではないでしょうか?

多くの人は人と人とのつながりを絶対視して、社会から距離をとる人に「とにかく積極的に人と関われ」と強要するわけですが、私はそういうのは全部無視していいと思いますね。
だって、一人でいたいときに一人でいたいと考えることは、別に何も不合理じゃないわけですから。
他人と一緒にいたいときに一緒にいれて、一人になりたいときに一人になれる、これこそが最も健全な人間関係の在り方でしょう。
逆に強迫的に「人と関わらなきゃ!」と考える人がいるとしたら、私からすればそっちの人の方がどう考えても病的です。

ただ、適度に距離を置いた関係を維持するというのはなかなか難しい。
なぜなら、余りに距離を置きすぎると関係が自然消滅してしまいますし、逆に距離が近すぎると友情や恋愛感情が芽生えてしまうのですから。
少なくとも人と距離を置くにも一定の人付き合いのテクニックが要求されることは間違いないでしょう。

「じゃあもう開き直って恋愛感情とか友情をどんどん深めていけばいいじゃん」と思う人がいるかもしれませんが、関係が破たんするショックを思い浮かべると、やはり深い関係を他者と築くのはいやなんですよね。
なので、いかにして切れない程度の人間関係を維持するか、これに私は今日も、これからも非常に苦心します・・・。

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人間関係

- 2 Comments

海月です。  

タイトル無し

-「絵」-「絵」-「絵」-「絵」 の時代には、
ぶち丸さんの作品を生で観られる個展があるといいなと思っていました。

-「絵+詩」-「絵+詩」-「絵+詩」- 時代では、

あら!そうか、いわゆる、絵本という一冊の作品と捉えたらいいんだな、と考えました。

ただ、自分が受け止める世界観とは比べ物にならないほど重い言葉が並んでいましたので、
コメントは差し控え、足跡を残さず、
遠くで傍観するスタイルでおじゃましておりました。


-「絵」-「文章」-「絵」-「文章」-「絵」-「文章」スタイルになってから、
ブログが復活して、うれしさのあまり、
また、ぶち丸さんのユーモアたっぷりな分析力に親近感を覚え、
迂闊にコメントしてしまうことも…(;´・ω・) たはは。


ぶち丸さんが、ブログをどんな形に施行錯誤されても、
わたしにとって、こちらの作品集(絵)は癒される場所であることにかわりはありません。


有機質のようであり、無機質のようであり、
大きさとか質量という現実味が無縁に感じられます。


『わたしがだれにも迷惑を掛けずに、安心して存在できる世界』というイメージを持って、これからも訪問させていただきたいと思います。

2016/04/19 (Tue) 14:11 | EDIT | REPLY |   

ぶち丸  

海月さんへ

> -「絵」-「絵」-「絵」-「絵」 の時代には、
> ぶち丸さんの作品を生で観られる個展があるといいなと思っていました。

個展は長い間やりたいなあと思っているのですが、
いかんせん公開できるほどの作品が手元に皆無なので夢のまた夢ですね・・・。
相当準備に時間はかかりそうなので、どれくらい先になるかは見当もつきません。
ただもし死ぬまでに何とか個展をやれたら、そのときはぜひお越しください。

> -「絵+詩」-「絵+詩」-「絵+詩」- 時代では、
>
> あら!そうか、いわゆる、絵本という一冊の作品と捉えたらいいんだな、と考えました。
>
> ただ、自分が受け止める世界観とは比べ物にならないほど重い言葉が並んでいましたので、
> コメントは差し控え、足跡を残さず、
> 遠くで傍観するスタイルでおじゃましておりました。

いやー、その時代の作品をご覧になられてましたか。お恥ずかしい。
まあ自分でも読み返してみてドン引きだったので、その気持ちはよく分かります。
何と言いますか、慣れないことはやっぱりするもんじゃないですよねえ・・・ホント。

> -「絵」-「文章」-「絵」-「文章」-「絵」-「文章」スタイルになってから、
> ブログが復活して、うれしさのあまり、
> また、ぶち丸さんのユーモアたっぷりな分析力に親近感を覚え、
> 迂闊にコメントしてしまうことも…(;´・ω・) たはは。

正直私の経験不足な足りないオツムでは分析力など皆無に等しいのですが、親近感を覚えていただけるというのは大変光栄です。
基本的に絵は好き勝手に描いてきたんですが、文章はどちらかというと分かってもらうことを第一に書いています。
なのでコメントして頂き、伝わっていることが分かると実に安心します。
そういう意味で私からすると海月さんは大変貴重な閲覧者さんです。

> ぶち丸さんが、ブログをどんな形に施行錯誤されても、
> わたしにとって、こちらの作品集(絵)は癒される場所であることにかわりはありません。
>
>
> 有機質のようであり、無機質のようであり、
> 大きさとか質量という現実味が無縁に感じられます。

そうですよね、絵を充実させるかということがこのブログの一番重要なポイントですよね。
うっかりすると忘れてしまいそうなので、その点はしっかり心に留めておきたいと思います。
今はインプットばかりしていて、アウトプットがおろそかになっていますが、今後勉強が終わり次第、早急に絵を載せられる方向に軌道修正したいです。

> 『わたしがだれにも迷惑を掛けずに、安心して存在できる世界』というイメージを持って、これからも訪問させていただきたいと思います。

なんだか褒め言葉の嵐で大変恐縮ですが、これからも是非期待してやって下さい。
脳内交響曲とぶち丸はいつでもあなたをお待ちしております。

2016/05/02 (Mon) 02:25 | EDIT | REPLY |   

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