脳内交響曲

ある時は世界一陰鬱な絵画を生み出すことを目指すブログ。またある時は死・人生について考えるブログ。

01 2037

紹介

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こんにちは、又は初めまして。ネット界最果ての地、脳内交響曲へようこそ。
わたくし管理人のぶち丸は、地球という地獄界の住民です。
地獄界からこのブログはお届けします。

このブログは、私が「見ていると気分がふさぐような自作絵」や「聞きたくもないような話」などの暗いコンテンツを延々と載せていくスペースです。
何故そんな誰にも見向きもされないような創作を試みるのか、疑問に思う人もいるかもしれません。
もっと明るい、一般向けのものを作れば認められやすいし、お金儲けも出来て成功できるのではないか、などと思う人もいるのかもしれません。

私が一般受けしないコンテンツを作り続ける理由、それは余りにこの世界が陽の雰囲気に満ちているからです。
人間の多様性を重んじるならば、世の中には明るい人だけではなく、暗い人がいても別におかしくは無い筈。
しかし、現実には暗い人間は排斥され、虐げられ、陽気な人間に合わせることを強要されます。
そして生きていくうえで多大な困難、苦痛を経験することは避けられません。



別に私は明るい人間のことを否定はしません。
しかし、少しぐらいは陰気で、根暗な人間がいてもいいじゃないかと、そう思うのです。
そのため、このブログでは陽の雰囲気に押されないように、陰の雰囲気を世界に増すことを私は目指していきたい。
最終的に暗い人が出来るだけ生きやすいように世界を持って行ければなあ、と思います。
もしこの変人に興味がある方は、ぜひ最期(私の死)までお付き合いください。
何卒、よろしくお願いします。

また、此の記事の追記に初めて来た人に向けて、より詳細なブログの紹介を書いておきました。
「続きを読む」を押すと、このブログの歴史など色々読むことが出来ます。
読みとばしでも全く問題ないですが、このブログに関心がある奇特な方は是非読んでください。

ブログ紹介 脳内交響曲

07 2018

つらいことがあったら・・・

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どーも、ぶち丸です。
最近は旅行にはまってたり、上手く絵が描けなかったり、精神が不安定だったりで中々新しい作品を載せる機会が無いんですが、今回は絵とはちょっと関係ない話をします。

今回の記事のテーマは「生きるのがつらい」と「生きるのがつらい時にどうするか?」の二つです。
最近生きるのが凄くつらいなあと思うことが多いので、これから自分の精神の治療のために上記のテーマに沿った文章を書いていこうと思います。
(中々面白くない内容になりそうだけど、あくまで書くこと自体を目的にしているからそのへんはご容赦いただきたい。)



で、まず「生きるのがつらい」の方から。
とりあえず最初に個人的なことを話すと、最近人間関係がとてもしんどいです。
そこそこ生きてきた人生の大半においてもまあ人間関係で辛いことは沢山あったけど、最近はまた精神状態が結構悪化するレベルでしんどくなってきています。

個人的に今人間関係で一番悩ましいのは、「どの程度相手に優しくし、どの程度相手に厳しくぶつかればよいのかがよく分からない」ということです。
酷いことをされたり言われたりしたときに、人間関係の上手い人は適度に怒ったり適度に優しくしたりといったことが上手に出来ると思うのですが、最近私はそこら辺の加減をいつも間違えます。
怒るべきところで相手に下手に出てしまって「あの時もっと言ってやればよかった!」とか「ああしてやればよかった!」みたいな感じで後悔したり、抑えるべきところで行き過ぎてしまって「ああ、あそこまで言わなければよかった!」「あんなことしてしまって恥ずかしい!」みたいな感じで後悔したりするみたいなね、最近そう言うことがホント多いです。
(具体的にどういうことがあるのか・あったのかは今回は言わないけども)

どの程度相手に怒り、どの程度相手を許すのがベストなのか見極めるのはホント難しいと思います。
もし世界のあらゆることを知っていれば自分が悪い(正しい)のか相手が悪い(正しい)のかは一目瞭然なのですが、真実は後になってから明らかになることが多々あるので、やはり相手に誤って怒ってしまったり相手を誤って許してしまったりみたいなことを私はやってしまうのです。
(私は一応そういった先のことを考えて、人に怒るときは、「出来るだけ冷静に、声を荒げずに、現時点で分かっている事実のみに基づいて、悪い言葉も使わずに人に怒りを伝える」みたいなルールを守ることは徹底していますが)

これはホントどうしたらいいんでしょうね?
常に他者を警戒してキレ気味に接するとか一切他人には怒らないようにするとか色々な選択肢は考えられるんですが、とはいえそれらはどちらも極端ですしね。
極端な姿勢をとりすぎると現実問題色々まずいので、どこかで(ここまでされたら怒り、ここまでのことだったら抑えるみたいな)線引きをするべきだと思うのですが、かといってこれが上手くいくかというとやはり上記のように私の無知さゆえに上手くいかないという・・・。
本当にどうしたらいいのかよく分からない感じです。

まあどうあれ、これからもこういった人間関係に関して私は様々な失敗をして苦しみ悶えながら生きていくことになるのでしょうね。
本当は人間関係を一切断って一人で孤絶した空間で暮らすのがベストなんでしょうが、そんな能力も場所もないので私は人々の間で揉まれながらも何とかしていくしかないんでしょう。
(嫌なことをされたときに怒って恨まれたり恥ずかしい思いをしたりみたいなことを残りの人生で延々と続けるのはバカバカしいし嫌なんだけどなあ・・・。)

なんでこんな苦行を延々とやらなければいけないのか未だに謎ですが、とりあえず以上のような人間関係の面倒くささが最近生きるのがつらいと思う理由のひとつめです。



そしてもう一つ生きるのがつらくなっている理由が一つあって、それは「病気がつらい」ということです。
過度な「精神的な病」を負っているということは多分ないんですが、そういうのではなく「身体的な病」が最近地味にきついです。

とりあえずその身体的な病とやらを箇条書きで列挙していくと大体つらいものは次のような感じです。

・皮膚の病気で全身のアチコチがかゆくなったり、肌がただれたする。
・犬歯の裏側にある虫歯(?)が徐々に悪化して何となく痛みや違和感があったり、奥歯のゆがみによって生じた奥歯の掃除が行き届きにくい部分が少し痛かったりする。
・慢性的な鼻炎で少しでも埃とか花粉を吸ったりすると鼻水が止まらなくなったりする。
・痔で尻から少し血が出る。
・風邪をうつされて熱は出ないが一カ月くらいずっと咳が止まらない。

他の大病を患っている人からすればどうってことない症状だとは思いますが、これらのようなちょっとしたこともやはりきついと言えばきついのです。

そして病気に関して特に悩ましいのが「人間不信であんまり医者にいく勇気が無いからどんどん症状が悪化していく」ということです。
本当はもっと気軽に医者に行って薬を貰ったりできればいいんですけど、医者と面と向かって話すのは私にとって厳しいものがあります。
性格のきつそうな医者にかかるのは勿論嫌ですが、例え性格がよさそうで善良そうな医者であっても、私の方の性格の悪さが見透かされる気がしてやはり医者に行くのは嫌な感じがします。

あと歯医者は予約するのに自分から電話かけなければいけないのが嫌ですね。
向こうからしたらそういう予約が必要なのは分かるんだけど、電話がすごく苦手な私にとって予約の電話をかけるというのはかなりつらいイベントです。

こういった事情もあって最近は中々医者に行けてない感じです。
で、医者に行かないからどんどん症状が悪化していくと。
(なんなんでしょうねこの悪循環は・・・。)

とりあえず以上のような病気関係の悩みが最近生きるのがつらいと思う理由のふたつめです。



そしてもうひとつ生きるのがつらい理由として、「チョットしたことが妙に気になる」ということも挙げられます。
今まで会った人々と比べても自分はトップクラスで神経質で細かいことを気にする性格だと思っているのですが、その性格が災いしてチョットしたことをものすごく引きずるようになってしまっているのです。

自分が凄く気にしてしまう出来事としては次のようなものが挙げられます。

・知覚過敏なのか前髪が額に当たるのが妙に気になる。
・眼鏡の鼻あての部分が妙に気になる。
・顔のほっぺらへんに出来た小さい傷が気になって延々と引きずっている

他の人からみたら相当しょうもないことかもしれないけど、個人的にはこういったチョットしたことが(恥ずかしながら)すごく気になってしまうんですよねえ。

こういったちょっとしたことを気にしすぎないようにするには色々対策方法はあるのだと思います。
例えば前髪が気になるなら額に髪がかからないに髪型にするとか坊主にするとかいった選択肢があるだろうし、眼鏡が気になるならコンタクトにするとかね。
顔の傷に関してはなんか化粧とかでごまかすとか、多分そういう方法があるのだと思う。

ただそういった対処法には中々手が出せないんですよね。
髪に関しては美容師に頼むのではなく自分で切ってるからそういう器用な(?)髪型には出来ないし、坊主にする勇気もないし。
眼鏡に関してはコンタクトにしてみてもレンズがすぐ曇ってしまったりして中々そっちに移ったりとかが出来ないし。
顔の傷に関しては傷を誤魔化すのはしょっちゅうそんな隠す処理をするのが面倒だし。

実際には上で書いている以上に色々手は尽くしているんですが、やはり最終的には上記の三つの悩みはどれもどうしようもない感じですね。
なので、こういったちょっとしたことは出来るだけ意識を向けないようにするしかないのでしょうね。
(でも、精神的に不調な時とかは上記のようなちょっとしたことがものすごく気になってきて、精神的にかなりイラついた状態になります。)

以前にもこういった悩みがあるみたいなことは書いたことがあると思うけど、そのときから全然状態が改善していないというのがつらいですね・・・。
とりあえず以上のようなちょっとしたことを気にしすぎてしまうことが最近生きるのがつらいと思う理由のみっつめです。



最近嫌だなと感じることは大体以上です。
もっと具体的なケースを取り上げたり、上では書いてない細かいことも全部書いたりしてもいいんだけど、まあ個人的な悩みは大半の人にとっては切実なものではないだろうし、どうでもいいことだろうとも思うので、とりあえず今回はお悩み紹介(?)はこんな感じで。

で、次に「生きるのがつらい時にどうするか?」の方のテーマに話を移して、実際に私が様々な生きている間に起きるつらいことにどう対処しているのか?について順番に書いていこうと思います。

以下で紹介する苦しみの対処法は「こうすれば苦しみを減らすことが出来るだろう」という想像上のものではなくて、あくまで「私が実際に色んなことで苦しいときにこうしている」というものばかりです。
いずれも意図的にやっているものではなく、気づいたらやってた!みたいな感じで殆ど無意識にやっているものなので特に他の人の参考にはならないと思うけど、まあ私と同じような苦しみを抱えている人がいたら意図的にTryしてみるのもアリかもしれません。



~ぶち丸流苦しみへの対処法~

〇声を出す

まず一つ目の方法はコレ。
一般的に言うと独り言というやつですね。
コストがかからずそんなに身体を大きく動かしたり激しく動かしたりということもないので一番お手軽な苦しみの軽減方法です。

何か恥ずかしいことをしてしまったり、人前でミスをしてしまったり、他人に嫌なことをされたのを思い出したり等の人間関係の苦しみが増してくるとコレが発動してくる可能性が大です。
(病気の苦しみとかチョットしたことに対する苦しみとかの場合では声が出てくるということはまずないけども。)

ちなみに私の場合は「あーーーーー!!!!!」「くぁwせdrftgyふじこlp」みたいな意味のない言葉を言うこともあるけど、大体意味のある言葉を言うことが多いです。
(「死ね!」「殺す!」「首吊れ!」「消えろ!」「死にて」「クソッ」などなど)

無意識に自分が発する言葉の内容は少しずつ変化していくので、その内容を分析することによって自分の心理状態が大体わかるというメリットがあります。
あと発する言葉は時間の経過に伴い少しずつ言葉が変化していったりするので、その変化していく様がそれ自体で面白いと言えば面白いです。

声の大きさとか調子は、そこまで苦しみが大きくないときは普通に話すときと同程度ですが、酷いときは支離滅裂な絶叫になる感じ。
この時の状況は絶対に人に見てもらいたくないですね。叫んだあと我に返った時普通に恥ずかしいので。

声を出してしまう場所に関して言うと、普段は一人で部屋でぶつぶつ言ったりするのが殆どですね。
ただし、よっぽどの(恥ずかしい)ことがあると道路とかでもつい声が出てしまったりします。

声を出すとスカッとするのは確かなんですが、この声を人に聞かれてしまうと逆に恥ずかしくなって苦しみが増していくのでその辺の注意が必要ですね。
家の外に人気が無いときや人気のない道で声を発するのがコツと言えばコツです。
(それでも聞かれてしまうときはやはり聞かれてしまうのだけど)



〇嫌なことを出来るだけ考えないようにする

次に紹介する方法はコレ。
この対処法は軽度のものであればどんなタイプの苦しみにも有効なので、日常的に結構やっていますね。
「苦しいことから目をそらさず生きる!」みたいな強靭な生き方もとても理想的なものであるとは言えるだろうけど、私は人一倍精神的に打たれ弱いので、どちらかと言えばやはり嫌なことは意識の中から遠ざけようとしている感じです。

ただ、考えないようにすると言っても頭を真っ白にするとかそういうことをしているわけでないです。
例えば、様々な苦しみに対して、仏教の修業みたいな感じで瞑想をするとか座禅を組むとかいったことで対抗する人も中にはいるのでしょう。
しかし、私の場合はなんだか無性に時間がもったいない気がしてしまうし逆につらい気分になってくるので、そういった頭を長時間空っぽにする系のことは一切やってないです。

座禅とかではなくて、むしろ私がつらいときによくやっているのは身体を動かすことです。
具体例を挙げれば意味もなく走り回ったり腕を振ったりヘドバンしたりダンスしたり激しくジャンプしたりとかですね。
こういったことは気が向いたときにやると完全にではないけれども嫌なことが頭からなくなっていくので、個人的にはかなり優れた苦しみへの対処法だと思います。
(他の人に見られたら激しくドン引きされるとは思うけども)

それとあとはとにかく「自分が楽しめることをやる!」ということを徹底することですね。
当たり前のことだけど、全然面白くないことをやっていると嫌なことは意識の上にすぐ浮かんできてしまうので、やはり出来るだけ楽しいことの方にだけ目を向けるのがポイントでしょう。
私なんかは、苦しみを抱えているときは絵を描いたり音楽を聴いたりどっかに出かけたり、とにかくなんでもいいからそのとき自分がやりたいことや楽しめそうなことに可能な限り手を出すよう心がけています。
(それでも本当につらいときは布団に寝っ転がってボケーっとするとか寝逃げする以外の何もできなくなってしまうけれども)

ただ問題は楽しいことがあまり長続きしないということですね。
無限の強烈な楽しさが永遠に持続する!みたいな感じだったら生きている間に起きる様々な苦しみには打ち勝てると思うんですが、やっぱり楽しいことはある程度時間が経つと飽きがくるし、大きすぎる苦しみに対しては楽しさは全く無力なので、そのへんがこの「嫌なことを出来るだけ考えないようにする」という対処法の限界と言えるでしょうか。



〇優しい人のことを思い出す

昔はやってなかったことだけど、最近は(私らしくないですが)こういうこともしてます。

これは嫌な人がいたときや人に嫌なことをされたときに結構やっていることですね。
誰かに嫌なことや酷いことをされたとき私は他人が信じられなくなったりしてしまうんですが、そういうときに「世の中にはいい人もいる」という事実のことを考えると、人間を信じる力が(完全にではないけれど)少しずつ回復してくるような感じがあります。

ちなみにここで言ういい人とは単に立派な業績を成し遂げた人とか真面目に働いて苦労している人とかではありません。
そうではなくて、私の言ういい人とは一切見返りを求めずに自分に損なことが出来る人、無償の善意を持っている人です。

例えば自転車で道を走ってて車道を横切ろうとしているときに車が道を譲ってくれるとかね、そういうちょっとしたことでいいんです。
そういうちょっとしたことをしてくれる人こそが私はいい人だと思います。
そして、そういうチョットした善いことがあるだけで嫌な人の存在も私は乗り越えていけるような感じがあります。

苦しみを減らすためにそういう人のことを利用しているみたいに考えると若干後ろめたいですが、やはりそういう人の存在が最近の私にとって救いになっているという面はありますね。



〇分からないことに関しては全て自分の都合のいいように解釈する

最後に紹介する方法はこれ。

これは何か恥ずかしいことをやらかしてしまって精神的に苦しいときに個人的によくやるやつです。
この思考法は実践すると恥ずかしい過去を思い出して苦しむみたいなことが減るのでかなり重宝してます。

人によって恥ずかしいことは色々あると思うんですが、(一見浮世離れした感じの)私にも勿論はずかしいことはたくさんあります。
恥ずかしかったことをぱっと思いつく限りで書き出してみると大体次のような感じです。

・人前で羽目を外してしまって、不自然な挙動をしてしまった。
・人前で羽目を外してしまって、不自然な言動をしてしまった。
・自分に原因があることで他人を責めてしまって、後で真実が明らかになってその他人ではなく自分が原因であったことに気づいた。
・隠していた事実・モノ・行動などを他人に見られた。
・人違いをしてしまった。
・他人の名前を忘れてしまった。
・他人の名前を間違えてしまった。
・もたついたり等人に迷惑をかけることをしてしまった。

具体的に書くと恥ずかしい過去がありありと思い出されて嫌なので、あくまで大まかに書きだしただけですが、まあ大体こんなようなことが個人的には恥ずかしい感じですね。

恥ずかしい過去の思い出にはずうっと昔の自分が小さかった頃のものもあれば、最近のものまであって、期間的にかなり幅があります。
普通の人は恥ずかしいことをしてしまってもすぐ忘れたり、時間が経つにつれて次第に忘れていったりすると思うのですが、私はかなり(恥ずかしい記憶に関してのみ)記憶力がよくて、昔の恥ずかしいことも比較的鮮明に思い出してしまうので、そのことによって更に苦しみが増強されている面があるかもしれません。

恥ずかしいときにやりがちなのは、やはりとにかく自分にとって最悪の状況が発生しているとつい考えてしまうということですね。
恥で頭がいっぱいな時私は冷静ではないので、何かやらかしたとき、「あの人は今頃私のことを考えて軽蔑しているだろうな」とか「あの人は今頃私のことを考えて笑っているだろうな」とか「今頃噂がどんどん広がっちゃってるだろうな」みたいな感じで実際に起きていないかもしれないことをアレコレ想定してしまい、私は延々ともがき苦しみます。

ただ最近は、そういう最悪の事態が頭に浮かんだときに「いやあの人は私のことなんかもう考えてない」「自分が気にしすぎているだけだ」と考えるようになって、余り引きずることは無くなりましたね。
以前だったらこういう都合のいい考え方はどこか不誠実(自分に嘘をついている?)な感じがして中々できなかったんですが、最近は余りに苦しみが強いために、自己防衛のためか私自身の価値観というか精神に根本的な変化が生じているような気がします。

ただまあ「精神に大きな変化が起きている」というとなんか凄いことを言っているみたいに思われるかもしれないけど、実際のところそんな大した話ではありません(笑)
今私に起きている変化は結局のところ、恥ずかしいことがあったときに「分からないことに関して全て自分の都合のいいように解釈するようになった」とかただそれだけのことなのでしょう。
苦しみが生じるのは自分に都合の悪いことをアレコレ考えてしまうからであって、だから、こういう考え方を単にやめれば自然に苦しみは無くなるのだ!みたいな、まあただそれだけの当たり前のツマラナイ話ですね。

もちろん、私の期待に反して私の恥ずかしい所を目撃した人が「あいつはきもかったな(笑)」とか「あいつまじ馬鹿だったな(笑)」とかそういうことを考えている可能性もあるんでしょうが、可能性があるだけのことなら無数にどんなことでも想像できてしまうし、分からないことをアレコレ想像してへこむのはカナリしょうもないことなので、まあ最近は冷静さが増してきたというか、少なくとも最悪の可能性を事実として考えてしまう癖は無くなってきた感じですね。

ちなみに補足的に言っておくと、恥ずかしいことがあった時に「分からないことに関しては全て自分の都合のいいように解釈する」という思考法のポイントは、「あの人は今頃私のことを考えて馬鹿にしているかもしれないし馬鹿にしていないかもしれない」みたいな具合に「色々な可能性がある」というところで考えを止めたり、「あの人は私のことを別に馬鹿にはしていないであろう」みたいな具合に希望的観測をもつだけにとどめてしまったりしないようにするということでしょう。

「あの人は今頃私のことを考えて馬鹿にしているかもしれないし馬鹿にしていないかもしれない」
「あの人は私のことを別に馬鹿にはしていないであろう」

こういった中途半端な考えでは、ちょっとしたことですぐに「いや、あの人はやっぱり私のこと今頃馬鹿にしてるかも!ああ恥ずかしい!」とか「自分にとって最悪の状況が事実なのかもしれない!」みたいな感情がくすぶってくるのは必至ですので、「あの人は今私のことなんか考えていないし決して馬鹿にはしていない」とか「噂が広まったりとかそういうことは一切ない」みたいな感じで自分に都合のいいことが全て事実であると既成事実化するぐらいの勢いで「諸々の可能性の内、自分にとって一番都合のいいものが事実に違いない!」と現実に関して思いこむことです。
最近の私は実際にそうしています。

これは恐らく恥ずかしいときに苦しみをなくすコツの最たるものです。
この点を守って「分からないことに関しては全て自分の都合のいいように解釈する」思考を徹底すれば、まあ少なくとも恥でもがき苦しむみたいなことは全くなくなっていくのでしょう。

ちなみに、個人的には恥ずかしいことを思い出したときの苦しみを減らすorなくす方法は以上のような感じで自分の考え方を変えるという方法以外ないような気がしますね。
一般的なものであれば恥ずかしいことをしてしまったときには「時が経って遠い過去のことになってしまうのを待つ」「時が経って忘れてしまうのを待つ」みたいな作戦も一応あるのでしょうが、私の場合は前述したように物凄く記憶力が良くて、小さいころにしてしまった恥ずかしいことを未だに思い出して赤面してしまうくらいの厄介なタイプの恥ずかしがり屋なので、やはりこういう手段はとれません。

他の手段として「恥ずかしいことを思い出すきっかけになってしまうものを自分の目に届かないようにする」という方法もあると思いますが、そういう記憶を呼び覚ますものはどんなに警戒していてもやはり自分の目の前に現れるときは現れてしまうので、やはり恥ずかしさとそれに伴う苦しみを消去するには「分からないことに関して全て自分の都合のいいように解釈する」を徹底するしかないでしょう。
(もちろん恥ずかしいことがあった時に「俺はそのことから目をそむけない!あらゆる最悪の想定をして、それらを踏まえた上で力強く生きていく!」みたいな考えを貫くのも個人的にはアリだとは思いますが)



以上、私がどう苦しみに対処しているか色々語ってきました。
いやーチョットしょうもない内容で長くなってしまってしまいました。これはブログを書く人間としてどうなんでしょう。
まあでも今回の記事はとにかく文を書いて精神を癒すのが目的なので、こればっかりは仕方がないですかね。

前述したように私が実践している方法はあくまで無意識にやるもので意図して実践するものではないので、他の人はこの記事に書いていることは別に活用はしなくてよいと思います。
まあ「うへえこんな考えの奴が自分のと同じ社会にいるのか!嫌だなあ!!」みたいな感じで若干引いた感じで読んでもらえたなら、個人的にはその読み方が一番幸いな感じです。

ちなみに以上で紹介したのは私が現実にどう対処しているのか?ということだけなので、苦しみに対処する方法は実際のところ様々なものが考えられるでしょう。
ここで話を終えてしまうのもなんなので、最後にそれらのうちいくつか比較的マトモなものをオマケで簡単に書き留めておきます。



〇自分が今置かれている状況よりもさらに不幸な状況を想定する。

これは恐らくどのタイプの苦しみにも一応有効な方法です。
自分が苦しいときにその苦しい状況の捉え方を変えるだけで、苦しみが減るわけではないから苦しみを減らすうえでそんなに大した役目を果たすという訳ではないんだけれども、まあ一応こういうのもあるということで書いておきます。

比較対象については色々なものが考えられます。
例えば過去の自分や未来の自分の置かれている状況を比較対象にしてもいいでしょうし、非現実の自分の置かれている状況を比較対象にしてもいいでしょうし、他者を比較対象にするのもアリでしょう。

比較対象は色々考えられるので、想像力がある人や知識がある人であればこの方法を効果的に運用できるでしょうが、ただ、この方法に一応難点があると考えられます。

まず一つは、比較対象を不幸な他人にする場合は、結構性格が悪い感じがするということです。
例えば「アフリカで飢餓に飢えている子供や戦争に従軍している少年兵とかに比べれば自分の人生は素敵だな」とか「あの不細工や貧乏人に比べれば自分の人生はマシだ」とか考えている人が身近にいると想像してみてください。
そういう人がいたら多分あんまりその人と仲良くする人はいないでしょう。
少なくとも一般的な人であればそういう考えの人には寄らないはず。

上記のような発言は非常に人間的なものだと私は思いますが、やはりこれらは一般的な人々にはもちろん、公的な場ではまず受け入れられないでしょう。
このように比較対象を何にするかによって「自分が今置かれている状況よりもさらに不幸な状況を想定する」という方法はある種のいやらしさを生じさせてしまいます。
これが、まずこの方法が抱える問題の一点目です。

そして、もう一個の難点はこの方法は苦しみを軽減するかもしれないけれども、同時に喜びをも軽減してしまうかもしれないということです。
この方法はより苦しい状況を考えることによって今の苦しみは大したことはないと考える方法であるわけですが、この考え方を同様に幸福な状況に適用すれば、今の喜びはより喜ばしい状況に比べると全然大したことはないという考えにつながりかねません。
もしそういう考えを自然にするようになってしまったら何も楽しめない・・・なんて状況になることもありうるでしょう。
これがこの方法が抱える難点の二点目です。

以上のような二つの難点がこの方法にはあります。
ただ、この二つの難点はこの方法を全く無意味にしてしまうほど深刻なものかというと、そこまで深刻なものではないでしょう。
例えば「この方法をとることによって周りから疎外されるかも・・・」という点に関しては、比較していることを口にしたりして人に伝えなければいいだけですし、「幸福の価値を減じてしまうかも・・・」という点に関しては、不幸な状況の時だけ比較をして幸福な時だけは一切比較をやめるというようにすればいいだけです。
不器用な人はともかく、こういう器用に都合よく物事を考えることが出来る人であれば、以上の二つの難点はそんな深刻なものではないでしょう。
(というか、深刻でないからこそこういう都合のいい考えは一般的な人々がごく自然に実践しているような気もしますが・・・)

ただこの方法に魅力があるか?というと個人的に魅力はそんなに感じないですね。
実際私が抱えている苦しみが比較によって大したものではないと見なせるとしても、やはり依然として自分が嫌な苦しみを抱えていることには変わりないですし。
あとこの手の方法は恥ずかしい状況とかの心理的に苦しい状況には有効かもしれないけど、身体的に痛いとかそういう類の苦しみには殆ど効果が無いですしね。

「この方法には実はこんな効果がある!」みたいなことがわかれば自然に使うようになることももしかしたらあるかもしれませんが、そう言うことが無い限り、少なくとも私がこの方法を積極的に実践するみたいなことは今後ないでしょう。
とりあえずこの方法について私が言えるのは大体この程度のことです。



〇すべては大したことではないと割り切る

この方法はすべてのことをちっぽけであると考えることによって苦しみを解消するというものです。
「無限の時間の中の無限の空間の中のこの一人物のことなんかに過剰な関心を向けるのは無駄な執着だ!自分みたいなちっぽけなもののことを過大視する必要はない」と考えたり、「苦しみなんてちっぽけなことだ。この世界には特別に関心を向けるべきことなどない」と考えたり・・・
まあ要するにニヒリズムに徹するということですね。

私自身は「自分の苦しみをちっぽけである」とか「自分は全く大した存在ではない」と達観できるほど高尚でもないので、この考え方を今後自分馴染ませることがあるかどうか考えてみると、どちらかというとなさそうな感じがします。
勿論今後のことは分からないので、もしかしたら将来的に全てを無意味だと悟って悟りに至るみたいなこともあるかもしれませんが・・・。

ちなみに補足的に言っておくと、この方法については一個前の方法について言ったことと全く同様のことが言えるような気がしますね。
苦しみだけでなく喜びも否定してしまう考え方であるとか人に嫌われそうな考え方であるとか、「自分が今置かれている状況よりもさらに不幸な状況を想定する」という思考法と「すべては大したことではないと割り切る」という思考法の間にはいくつか共通点があります。
まあこれらはどちらも著しく非社会的な考え方であると言えるので当然と言えば当然でしょう。
(これは余談ですが)



〇悪いことをする

「すべては大したことではないと割り切る」という域を踏み越えて「世界は悪で満ちている」とか「世界自体が悪である」といった域に至ると、苦しみを減らすうえでこの方法を取ることもあるでしょう。

少し具体的に言えば、他者をことごとく悪だと考えて見下し気に入らない人間を片っ端から傷つけ殺害するみたいなのがこの方法の内容に当たります。
或いは他人ではなく自分を傷つけて自殺するみたいなのもこの方法に含まれるでしょうか。

欲望を満たすとスカッとするので、人によってはこの方法をとることが苦しみの軽減につながるのは明らかでしょう。
ただこの方法はものすごくハードルが高いし、今の私の価値観に沿っていないので、私の例に限って言えば実践しそうになることはあっても実際に実践することはないでしょうね。
勿論今後のことは分からないので、今よりもはるかに重度な人間不信に陥ったり精神を病んだりしたら将来的に全てを悪だと悟って悪の道に至るみたいなことももしかしたらあるかもしれませんが・・・。



〇仕方ないと割り切る

最後に紹介する方法はこれ。
全ての生起することに対して「仕方ない」と唱え続けて、徹底的に苦しみに身をゆだねるとかそういう類の苦しみへの対処法です。

まあ要するにこれも諦観ですね。
ただ一見「すべては大したことではないと割り切る」という思考法と似ていますが、「仕方ないと割り切る」の方では「自分は起きていることに対してどうしようもないぞ」という考えが強調されているので、両者は内容が全然違います。

この考え方は何かしらのミスを犯したときに結構しそうになります。
「私が無実の人を責めてしまったのは、そのとき知識が無かったのからであって、それは仕方のないことだったのだ」とか、或いは「小さい頃は恥の観念がまだ成熟していないのだから、羽目を外してしまったのは仕方のないことだ」みたいな感じで自己正当化しようとするとき、私はある意味この方法を実践していると言ってもよいのでしょう。

もしこの方法を完全に実践すれば何も思い悩むことは無くなるのでしょう。
なぜなら、どんな事態が生じたとしても「仕方ない・・・仕方ない・・・」と唱え続けて流してしまえばそれでいいわけですから。

ただ「本当に全てのことが仕方ないことなのか?」ということを考えていくと、中々そういう考えには行けないですね。
やはり過去に遡っていけば、過去に起きた出来事あるいは過去の私の選択次第で別様の現実もありえたような感じがしてしまいますし。
少なくとも今の私には「全ては仕方ないことなのだ」と決めつけるほどの気概は無いので、私はこれからも過去を悔やむことは完全にはやめられないのでしょう。
(世の中には運命論とかを信じて全てを仕方ないで片づける人もソコソコいると思うけど)



以上「生きるのがつらい」と「生きるのがつらい時にどうするか?」の二つのテーマの下でアレコレ語ってきました。
途中から書くのがめんどくさくなってきて、苦しみを癒すどころかむしろ苦しみを増しながら文章を書いたような感じが無きにしも非ずですが、とりあえず最近の私のことは結構色々かけた気がするのでソコはよしとしときましょうか。

さて、今回の記事はとりあえずこれで以上なんですが、あと最後にちょろっと絵の話でもして終わりましょうかね。
今後の話をすると、まあいつも通りの話になってしまうんですが、これからはガンガン絵を描いていきたいですね。
ここ最近はすんごい色々苦しいことがあって、まあ中々作品を作る余裕がなかったんだけど、やっと今になって色々と落ち着いてきた感じなので、これからはまた前ぐらいのペースで作品を描くことは出来ると思います。

絵の方向性について言えば、まあこれに関しては今後も変わることはないとは思いますが、一応「細かいところで地味に変化をつけていって少しずつ違うものを作っていきたいなあ~」とか「もっと人をたっぷり呪える絵を作っていきたいなあ~」とかボンヤリと思ったりしますね。
やっぱり同じことを繰り返し何度もするのはつまんないですからね。
なので、モチーフを今までとは変えたり、絵柄を変えたり、雰囲気をいじったりしてやれる限りのことは今後精一杯やっていこうと思います、ええ。
(そんなん口だけだろと思う人もいるかもしれませんが・・・)



まあ最後はテキトーな感じになっちゃったけど、とりあえず今回の記事はこんな感じで。
次更新するときは新しく作品が出来た時だと思うけど、まあまた書くことが出てきたらなんか書きます。
では、また。

苦しみ 苦痛 人間関係 不幸 幸福 ニヒリズム 諦観 価値観

01 2018

最近の作品の話



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どーも、ぶち丸です。
相変わらずを描いたり寝たりする日々を送っている感じなんですが、今回も自分が描いたについて語っていこうと思います。
今回は上のについて簡単に。

前々回の記事のと同様に少女のです。
ここに載せるのは初めてのなので、ブログしか読んでいない人は見るのは初めてでしょう。
(PixivやTwitterには少し前に載せていたので、もう見たわ!って人もいるかもしれない)

前回描いた少女の絵に沢山の致命的な欠陥が見つかってきたので、リベンジがてら描いてみました。
前回の少女の絵は顔のデッサン等が狂ってたりして今見返すとちょっと恥ずかしいのですが、今回の絵に関してはそのへんの問題は(あまり)ないと信じたいところです。

ちなみに上の画像はPixivやTwitterで先に投稿した画像とは別バージョンです。
見比べないと分からないと思いますが、色んな箇所が変わっています。
ツノをはやしたり、衣装に手を加えたり、ほっぺをより赤くしたり、頭回転したり、他にも細かいとこ微調整したり。

PixivとTwitterに投稿した後に色々ミスが見つかったので直しました。
まあ、あくまで他の人から見ればどうでもいい細かいところなんですけどね。
とりあえず他のところにある画像ではなく、ここにあるこの画像こそが完成形だと思っていただけるとありがたいです。
(PixivやTwitterで公開している画像もこの完成形の画像にしたいけど、これらのサイトはブログと違って投稿した画像の差し替えが出来ないのでもどかしい・・・)



とりあえず絵を描いた感想を語ってみると、相変わらず完璧主義の性格がたたって
「できた!」→「いや、まだ出来てない・・・」→「できた!」→「いや、まだ出来てない・・・」→・・・
の無限ループの輪から逃れられないのが中々つらいところですね。

描き方を変えればそんなに制作に手間はかからないのでしょう。
たとえば人間の絵はデッサンが狂わないようかなり神経を使うので、人間以外のものを描くとか。
あるいは写実的な絵柄にするのをやめて、もっと抽象的な絵にするとか。
そういったことをすれば今よりも作品が量産できるので、自分としてもそっちの方がいいのかもしれません。

ただ無駄に大変な方向へ進もうとする変な癖があるので、今後も絵を描く調子は変わらないでしょうね・・・。
性格って変えようと思っても中々変えられないものだし、やっぱりこればっかりは自分の力ではどうしようもないのでしょう。
(正直、自分の性格については少しずつ変えていきたいところだけど)



ちなみにこの絵を描いてるときは「リアルな絵柄で今風の目の大きい子を描こう!」みたいなことを考えていました。
「只現実的な少女を描くだけではつまらない・・・でもありきたりなアニメ絵は描きたくない・・・じゃあ両者の良いとこどりをした絵を描こう!」みたいな感じで。
安直ですね。

ただ、「リアル」と「デフォルメ」という相容れない二つの要素の両方を一つの作品にぶちこむのは難しかったです。
たとえば写実的にしすぎるとなんかあんまり可愛くなくなっていくし、
かといって影とかを消してモチーフを平面的にしてみるとなんだか下手な絵にしか見えないし。

この作品を作っていた時は「リアルな絵柄に寄せつつ人物の可愛さをいかに保つか?」という課題の下で悪戦苦闘してました。
どうすればいいのか分からなかったので、とにかく描いている途中に手探りで答えを見つけ出していった感じですね。
あとは、ほんのちょっとの違いで人間の顔は印象が変わるから、そのへんの微調整に多少時間を費やしたりもしました。

で、結局のところ、最終的に出来上がったこの絵は相容れない二つの要素をうまくぶちこむことに成功したと言えるものなんだろうか?
どうなんだろう。

・・・正直なところこの絵の出来がいいのか悪いのか私にはよく分から無い感じですね。
個人的にはソコソコ上手くいったような気もするし、一方であんまり上手くいっていないような気もします。
やはりリアルな絵って情報量が多いから、印象を一つの言葉で表現するのが難しいです。
ある時にはまあまあいい感じに見えるのに、別の時には全然ダメに見える、みたいな感じで印象がコロコロ変わります。



ただ一つ言えることは全体のバランスがおかしい感じがするということですね。
具体的にどこが悪いのかは分からないけど、個人的にこの絵は何かがおかしい感じがします。
(何処が悪いか指摘してくれる人が現れたら個人的に凄く有難いのですが・・・。)

基本的に完成した絵は
「完成させる」→「しばらく絵を寝かせておく」→「絵を引っ張り出してきて変に感じたとこを直す」→「また暫く寝かせる」→「絵を引っ張り出してきて変に感じたとこを直す」→・・・
みたいな感じで徐々に修正していくことが多いのですが、今回の作品は「もう直すところが無いのに変な感じがする」ということで大分もどかしい感じですね。
何がダメなんだろう?全部が根本的にダメということなんだろうか?

よくよく振り返ってみると完全に思い付きで描こうとしたのがまずかったのかもしれません。
ふつうリアルな絵を描くとき、大抵の人は何か見ないと上手く描けないと思うのですが、私は服も顔も何もかも完全に思い付きで描いたので、そこに多分無理があったのでしょう。
服は黒で誤魔化して何着てるのかよく分からないし、表情はどういう表情なのかイマイチ釈然としないし。

まあ絵が下手な人間が調子に乗ったことをするとこういう結果に終わるといういい例なのかもしれません。
他の人は私みたいないい加減な描き方はしない方がいいでしょう。
(上から目線な言い方で恐縮ですけれども)



とりあえずこの絵を描いていて思ったところはそんな感じです。

いやー、改めて思うんですが、やはり絵を描くのは難しいですね。
描いても描いても全然納得出来るものが出来ないので、ものすごくもどかしいです。

いつか自分が納得できるものは出来るんでしょうか?
まあ、それは分からないんですけど、でも、分からないからこそ続けるしかないですね。
とりあえず現時点では実力不足なのは明白なので、完璧なものを作ろうとするんじゃなくて、「一つでもいいところがある絵ならばそれでヨシ」の精神で気軽にやってこうと思います。

今のところはそんな感じです。ではまた。

25 2018

最近気に入った曲のまとめ

最近気に入った曲の動画とかをまとめた記事です。
こういう記事は手抜きと思われるかもしれませんが、まあたまにはこういうのもね。

今までは記事ごとにジャンルを分けてたけど、今回は一つの記事に複数のジャンルの曲をつっこんどきました。
あと今回は一曲ごとに補足コメントつき。
楽器に詳しくないからなんかトンチンカンなこと言ってるかもしれないけど、あくまで楽曲の紹介がメインだから細かいことは気にしないでもらえるとありがたいです。

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