脳内交響曲

ある時は世界一陰鬱な絵画を生み出すことを目指すブログ。またある時は死・人生について考えるブログ。

01 2037

紹介

POS7.jpg

こんにちは、又は初めまして。ネット界最果ての地、脳内交響曲へようこそ。
わたくし管理人のぶち丸は、地球という地獄界の住民です。
地獄界からこのブログはお届けします。

このブログは、私が「見ていると気分がふさぐような自作絵」や「聞きたくもないような話」などの暗いコンテンツを延々と載せていくスペースです。
何故そんな誰にも見向きもされないような創作を試みるのか、疑問に思う人もいるかもしれません。
もっと明るい、一般向けのものを作れば認められやすいし、お金儲けも出来て成功できるのではないか、などと思う人もいるのかもしれません。

私が一般受けしないコンテンツを作り続ける理由、それは余りにこの世界が陽の雰囲気に満ちているからです。
人間の多様性を重んじるならば、世の中には明るい人だけではなく、暗い人がいても別におかしくは無い筈。
しかし、現実には暗い人間は排斥され、虐げられ、陽気な人間に合わせることを強要されます。
そして生きていくうえで多大な困難、苦痛を経験することは避けられません。



別に私は明るい人間のことを否定はしません。
しかし、少しぐらいは陰気で、根暗な人間がいてもいいじゃないかと、そう思うのです。
そのため、このブログでは陽の雰囲気に押されないように、陰の雰囲気を世界に増すことを私は目指していきたい。
最終的に暗い人が出来るだけ生きやすいように世界を持って行ければなあ、と思います。
もしこの変人に興味がある方は、ぜひ最期(私の死)までお付き合いください。
何卒、よろしくお願いします。

また、此の記事の追記に初めて来た人に向けて、より詳細なブログの紹介を書いておきました。
「続きを読む」を押すと、このブログの歴史など色々読むことが出来ます。
読みとばしでも全く問題ないですが、このブログに関心がある奇特な方は是非読んでください。

ブログ紹介 脳内交響曲

28 2018

絵の話と夏の旅行記

2018080919完成版?22修正版22222完成版!png

どうもコンニチハ。ぶち丸です。

今回の記事では今まで一度も書いたことのない旅行記というものを書いてみようと思うのですが、その前に↑のについての話を少しだけ冒頭でしておきます。

このは今年の2月8日から描き始めたで、ここ最近ようやく完成したものです。
完成したのが9月18日なので、完成に半年ぐらいかかってますね。
いやー長かった・・・。
普通だったらこんなに時間はかからないのに、チョットこのは拘りが強すぎたのか完成に時間がかかりすぎました。

もちろん、このだけに半年ずっと時間をかけていたわけではありませんよ。
何回も長期の中断をはさみながら描いたり、他のと並行しながら描いたりしていたので、時間がかかったのはおそらくそのせいです。

ただ半年というのは流石に描くの遅すぎですよね~・・・。
まあそこは私の実力不足と面倒くさがりやな性格・飽きっぽい性格のせいだったりするので、今後はそこらへんを修正してい行けるように精進します。



絵の内容に関して言うと、今回はご覧の通り人物画を描きました。
自分の(人間に関する)趣味を他者に知られたくなかったり、描くのが難しかったりするので、あんまり人の絵を描くのは好きではないのですが、まあ今回はこんな感じの人の絵です。

ちなみに、この絵の描き始めのころのものを晒すと↓のような感じです。

20180924.jpg

描き始めて比較的最初の頃は、完成形のように色んなモノを盛り込んだ絵ではなくて、どちらかというとこのような質素(?)な絵でした。
しかし、途中で段々と物足りなくなって翼をつけたり、剣を持たせたり色々な要素を後から付け足していったというわけです。
我ながら安直ですね。
このへんの私の計画性の無さは今後どうにかしていきたいところです。
(私の性格は直すべき点が多すぎる・・・)

今回は病的な人ではなく(どちらかというと)健康的な人を描くように心がけました。
ダークな絵を描く人の中には「ぐちゃぐちゃに人を変形させた肉塊の絵」とか「ゾンビや髑髏の絵」とか「鬱病患ってそうな感じの人物の絵」みたいなありきたりなツマラナイ絵を描く人が結構いるんですが、私はそういうものたちは出来るだけ描きたくないので、今回の絵はちゃんと五体満足で熱を帯びた元気そうな人物の絵です。

上の初期画を見てもらえれば分かるように、この人には途中で服を脱いでもらいました。
これは「服を着ている人を描く実力が私にないこと」、「私が人間の裸の姿が好きであること」、「翼のある人は少なくとも上半身は裸であるべきだという思想を私が持っていること」など様々な理由が積み重なってしまったからです。

ちなみに「この人物はどういう人なんですか?」とか「悪魔かなんかですか?」みたいな疑問を抱く人がいるかもしれませんが、そのあたりは全く考えてないです。
基本的に私は「何となく神秘的な絵」とか「何となく怪しい絵」とかを描くことを目指していて、何となく自分の目的に合ったものを絵の中にぶち込んでいるだけなので、モチーフに何か深い意味があるとかそういったことは特にありません。
なので、この絵の背後にどういうストーリーがあるか?とかどういうバックグラウンドがあるか?みたいな点は各々で自由に想像していただければと思います。

この絵を描く上で悩んだことについて触れておくと、この絵の中にあるもので描くのが一番難しかったのは多分髪ですね。
この子の髪型をどうするか?を延々と考えていて、最後の方までかなり苦労していました。

途中で散々色々な髪型を試したのですが、大分時間をかけて最終的に髪をいくつか束ねてもらう感じで落ち着きました。
正直髪がうまく描けなくて作品の完成を諦めそうになることも何度かあったのですが、何だかんだで完成したので、そのあたりは本当によかったです。

ただ、この人物を完璧に描ききった気がするかというとそうでもありません。
やはりいくつも心残りはあります。
例えば、この絵を見てると「羽根小さすぎんだろ!こんなんで本当に飛べるか~?」という疑問が自分の中に沸々とわいてきますし、あとは「ツノが邪魔で生活が大変そう・・・」みたいなこともも思ったりしますしね。 
そういったあたりで不自然さが残ってしまったかなあと個人的にチョット後悔している感じです。
まあでも、何も欠点無しで完璧にモチーフを描ききるのはとても難しいことなので、このへんは今後の課題ということで。



次にこの絵を描く上で拘ったことについて話しておくと、今回はテクスチャにかなり拘りましたね。
もちろん他の絵でも最近は必ずテクスチャにこだわるようにしているんですが、この絵では普段よりもかなり拘りました。

具体的に言えば今回は、いつもよりブラシテクスチャ・用紙テクスチャをたくさん作っておいて、それらを適材適所で使うことで、人物や背景をよりリアルに表現することが出来た気がします。
言い方を選ぶのが難しいんだけど、「触ったら感触がありそうな感じ」が今回はとても表現できたんじゃないかなあ・・・?
このブログだと画像の解像度が低くてよく分からないと思うので、良ければより大きい解像度で絵を投稿してあるPixivで作品を見てほしい所です。
多分あそこで拡大して見てもらえればこの作品がいかに(無駄に)細かいところまで拘っているか分かってもらえるかと。

ちなみに言っておくと、私のパソコンにあるこの作品の画像は解像度が7000×8000というかなり大きいサイズだったりします。
ただ、そんだけ大きい画像をそのままネットにアップできる所は(多分)ないんですよね。
本当は原寸で作品を見てほしいというのが正直なところなのですが、今のところそれが出来るサイトは知らないので、そのことが個人的には悩ましい所です・・・。

テクスチャの方に話を戻すと、やっぱりパソコンで絵を描く上でテクスチャをどうするか?は重要なことだと思います。
ネットとかで他の人の作品を見ていると、テクスチャに拘りが殆どない(もしくはテクスチャを全く使用しない)人が沢山いてガッカリしてしまうことがよくあるのですが、テクスチャはやはり作品にリアリティ(実在感)をもたせるには重要なのではないかと。

もちろん別に「私はテクスチャなんか使わん!」という人がいても全然いいとは思うんですけどね。
なんだろう、やっぱテクスチャを使うと手間が増えるし絵が汚い感じになったりもするので、そのあたりが皆がテクスチャを使わない理由だったりするのかな。
でもまあテクスチャ使うと重厚な感じが出せるし、拡大しても見栄えのある絵が作れたりするので、もっと使う人が増えればいいのになーとか個人的には思ったりします。

ちなみに最近個人的にブラシのテクスチャがかなり凝っているなーと思うソフトはiPadで使えるprocreateというソフト(アプリ?)ですね。
色々なソフト(Painter、Photoshop、SAI、クリスタetc・・・)を今まで使ってきたけども、このソフトを使っている人の絵を見たり、自分自身で試用版を触ってみたりする限りでは、今のところこのソフトのブラシの表現力が頭一つ出ていると思います。

ただこのソフト、使おうとするとかなりお金がかかるんですよね。
ソフト自体は別に高くないんですが(確か1000円くらい)、やはりipadが高いのですよ。
一番大きいサイズ(確か12.9インチ)とペンのセットで10万円とかします。
裕福な人ならともかく、私みたいな一般(或いは下等)庶民に10万は高すぎです・・・。

procreateは滅茶苦茶いいソフトだしコレを使って作品を描いてみたいんだけど、流石にこのソフトのためだけに10万をポンと出す余裕も勇気も無いですね。
なので、お金に余裕があったらほしいけど、とりあえず今は焦って買わずに保留という感じです。
まあ今使っているソフト(SAI)も表現力は十分高いので、やはり当分暫くはまだこれだけに依存することになるでしょう。
(SAIは今後も機能がいろいろ増えていくだろうし、このソフトがprocreate並みにブラシの表現力が上がってくれると個人的にはベストなんですが・・・。)



少しソフトの話に脱線したけど、とりあえず絵に関して話したいことは大体以上のような感じです。
いやー、それにしてもこの絵は描きあげるのが大変でした・・・。
やっぱこの絵で半年はかかりすぎですよね。
次の作品はもっとスピーディに仕上がるといいんですが、果たしてどうなることやら。
(別に作品を無理に早く仕上げる必要もないと思うんですがね。)

で、絵の話の次にここからは、今年の夏私が様々な場所に行ったことについての文(旅行記)を書いていこうと思います。
まあ大多数の人(というか世の中のすべての人)にとっては殆どどうでもいいことだと思いますが、一応私のブログなので、たまにはこういう記事もね。

いつもの夏だったら家にこもってダラダラしているのが普通なのですが、今年の夏は私にしてはかなり色んな所に行きました。
今年の夏は「綺麗なものが見たい」とか「面白いものが見たい」とか「普段あんまり見かけないものが見たい」みたいな感じのことを珍しく考えていたのが一応旅のきっかけかもしれません。

行った場所は色々あるんですが、とりあえず書き出してみると大体次のような感じです。
5月とか6月の旅は今となってはもう大分記憶があいまいだけど、まあ一応日付は当っていると思います。

①5月29日 東名古屋港(愛知県)
②6月19日 東山動植物園・東山スカイタワー(愛知県)
③7月3日 庄内川(愛知県)
④7月12日 大高緑地・桶狭間(愛知県)
⑤7月29日 木曽川・六華苑(三重県)
⑥8月14日 犬山城・小牧山城(愛知県)
⑦8月28日 佐久間ダム(静岡県)
⑧9月2日 石川県立美術館・兼六園(石川県)
⑨9月6日 山梨県立美術館(山梨県)
⑩9月8日 須磨水族館・王子動物園(兵庫県)
⑪9月10日 城ケ崎海岸(静岡県)
⑫9月23日 伊勢神宮(三重県)

行ったところは基本的に私が住んでいる名古屋市の近くが多いですね。
いきなり家から遠くに行くのは経験不足の私には厳しいので、最初は近い所に行くところから始めて、段々市外とか県外とか遠くに行けるように練習したみたいな感じです。

ちなみにお金が無いので、どっかに泊まるとかは一切なくて旅行は全部日帰りでした。
食事とかも旅行中はおにぎり100円とかお茶を買ったりする程度で、高級料理を食べるとかも一切なし。
あくまで私が行ったのは行って何かを見ることだけに特化した旅行だと言えるでしょう。
お金を極力かけないようにしたので、あまり特段凄い経験が出来たというわけではないですが、ただまあ限られた予算の中で我ながら上手くやりくりは出来たとは思いますね。

では、以下順番に行ったところのこととか感想とかを簡単に書いていこうと思います。



①5月29日 東名古屋港(愛知県)

この日は自転車で本屋に行って立ち読みをしていたんだけど、帰りにちょっと遠くに行って見たくなったので堀川を南進して名古屋港の方に行くことに。
名古屋港と言えば水族館とかがまあ有名なわけなんだけど、この日はそこへは行かず、名古屋教育水族館跡地を経て東名古屋港に向かいました。
で、東名古屋港につく頃には日も殆ど暮れかけていたので、そこで家の方に引き返していきました。
この日に走った道はとりあえずそれだけ。

家からそんな遠くに行ったわけではないので、他の人から見たらどうってことないことかもしれないけど、久々に家から行き慣れない方角に一人で向かったので結構緊張したのを覚えていますね。
ちなみに帰り道では道に迷いかけたり、自転車のライトが切れてるのに日が暮れてしまったり、家から結構遠い所まで来たのにタイヤがパンクしかけたり結構なハプニングがありました。
まあ最初の旅行としてはかなり計画性がなくグダグダしたものだったと言えるでしょう。(笑)
ただ、この小旅行をきっかけに一人で遠出することの楽しさを少し覚えて、「どっか他の場所に行って見ようかな」と考えるようにはなりましたね。

ちなみに私が引き返した場所をさらにチョット南の方に進むと名古屋港ワイルドフラワーガーデン ブルーボネットという植物園があるらしいので、そこは今後気が向いたら行こうと思います。



②6月19日 東山動植物園・東山スカイタワー(愛知県)

前回の小旅行の後「どっか(そんな遠くない)手ごろな場所に面白い場所はないかなあ~」と考えたのですが、色々考えている内に東山動植物園に行くことに。
交通手段はこの日も自転車。もうこの頃はかなり夏が深まっている頃だったし、あのあたりは坂も多いので中々きつかったのですが、スカイタワーを目印にとりあえず道に迷うことなく無事到着。
自転車は停めるときに料金をとられることもなく、入場料も大分安かったので、そのあたりはとても財布に優しくてよかったですね。

一応早い時間に出発したので、園内はほぼ全部回ることが出来ました。
小学生の頃に来たことはあったのですが、殆どそのころの記憶が無いので、今回は初めて来たかのように新鮮な気持ちで施設全体を楽しめました。
動物は全部見ることが出来たし、植物園は4分の3くらいは回ったし、スカイタワーも一応登った感じです。
(遊園地の乗り物やモノレールなんかには流石に乗る勇気はありませんでしたが)

この日は平日だったので私以外に来ていた客は社会見学に来た小さい子供とかばかりでした。
あとはお年寄りの集団や主婦の集団とか、大学生のカップルとか外国人とかがチョコチョコいたくらい。
殆どの人は複数人で来ていてワイワイ騒いでいる感じだったのに対して、私は一人で来て黙々と動物を見ている感じだったのでチョット浮いた存在だったかもしれません。

内容に関していうと動物の数や種類は充実している感じでしたね。
やはり名古屋という比較的大きい都市の動物園というだけあってキリンとかコアラとかシロクマとかペンギンとかゾウとか一通りメジャーどころは揃っています。
ちなみにその日はゴリラが施設の移転の関係で見れなかったのだけど、まあ別にどうしてもゴリラが見たい!というわけでも無かったので特にショックはなかったですね。

個人的に一番見てよかったと感じたのはアリクイの赤ちゃんです。
別にアリクイが特に好きな動物というわけではないんですが、やはり赤ちゃんであれば動物は何でも可愛いんでしょうかね。
あのアリクイの親子はとても可愛かったです。可愛いというか愛らしいというか。
あとは夜行性の動物を集めた施設にいたネズミ(名前忘れたけど白くて丸いやつ)とかもよかったですね。あれもとても可愛かった。
ただ、あの施設は動物のために照明が落としてあって、かなり動物たちが見えづらかったので、そこが残念と言えば残念でしょうか。

植物園の方は個人的にあまり面白くなかったですね。
手入れはまあ十分されていると思うんですが、別にそこまで目新しいものとか変わったものとかがあるわけでもなくひたすら地味な森ばっかだったし、花畑もあったけどそんな綺麗かというとそこまででもないし・・・。
なんでしょうね。季節とかが違えばもっと違う風景があったりするんでしょうかね。
とりあえずこの時期のここは人もほとんどいなかったし別に熱心に来るほどの場所でもないんだろうなと個人的には感じました。
あと道が結構分かりにくかったり、坂とかがやたら多いのも個人的には結構マイナスだったりしましたね。
(これは植物園の問題というより私の頭や足の問題ですが)

スカイタワーは個人的にかなりよかったです。
まず結構高い所から360度名古屋の風景を見渡せるのがいい。
別に特に何かがあるというわけではないんだけど、眺めは中々壮大なので、結構長い時間外を見ていても個人的には飽きませんでした。
(なんなら1日中見ていても平気かもしれない)

あと普段は下からしか見ない風景を上の方から見ることができたので、中々驚きと感動がありましたね。
名古屋に住んでいる人ならば「ウチはあのへんだな~」としみじみ感じることもできます。(笑)
多分動物園だけに来てスカイタワーに登らない人とかも中にはいると思うけど、ここに来る人には一度はタワーに上ることをお勧めしたいところです。



③7月3日 庄内川(愛知県)

この日は都心(栄)らへんの本屋に自転車で行っていたのだけれど、帰りにぶらりと北の方に向かってみることに。
タイヤに空気があまり入っていなくて若干緊張しながらですが、なんとか矢田川を通過して庄内川のあたりまで行きました。
このあたりは発電所?的な施設やビール工場みたいな施設とか訳わからんものが色々ありましたね。

本当はもっと北の方に行って見たかったけど、これ以上行ってしまうと日が暮れるまでに家に帰ってこれない気がしたので、この日はこのあたりで泣く泣く引き返すことに。
この時やったことと言えば川に石を投げ入れるとか、その程度のことぐらいです。(笑)
ただ、川周辺を散策しているときは「こっから更に北に行ったら楽しそうだな~」とか「このあたりは全然知らない場所だな~」とか新鮮な気持ちを抱くことが出来たので、そのあたりは個人的にとても良かったですね。



④7月12日 大高緑地・桶狭間(愛知県)

次に行く場所を決めようと思ってGoogleマップを見ていたら、ちょうどいい感じのところに緑地と古戦地として(多分)有名な桶狭間があったので、この日はそのへんまで自転車で行ってみることに。

ルートはあんま家の情報を言えないから細かくは書けないんだけど、行きは高速の大高線の下を延々と南に走って、そのあとは国道1号を延々と南に走っていったという感じです。
地図で見ると家から結構距離があったので「行くのに大分時間がかかるかなあ」と思っていたのですが、そんなに時間はかからずに比較的早く着きました。
ただ、このころは気温が上がっていて外が大分やばい感じになっていたので、自転車で走っているときはかなりしんどかったですね。

大高緑地は地図で見る限り、外側にぐるーっと車とか自転車が走るルートがあって、その内側に展望台とか色々なんやかんやがあるという構造になっているみたいです。
ただこの日はあんまり下調べせずに行ったから、外のルートだけ走って「こんなもんか~」と満足して出ていってしまいました。
我ながらなんと馬鹿なことを・・・という感じですね。
この点で後悔があるので、またここに行くことがあったら、今度は内側の方まで緑地を探索してみたいところです。

外側のルートは結構走るのがしんどかったですね。
結構道のりが長いうえに坂も多いし、蜘蛛の巣とかもチョコチョコ張ってるし。
あと道の脇から蜂とかが出てきそうな雰囲気があったのが個人的に恐怖だったりもしました。

緑地の道を結構走って最後の方には「こんなところにきて、クソ暑い気温に苦しみながら坂道で自転車で漕いでいる自分は一体何なのだ?」と人生の意味を自問自答したりもしてましたね。(笑)
まあとはいえ、あそこは何となく気に入ったので、今度また行ってみようと思います。
とりあえず緑地に行った感想に関してはそんなところです。

その後緑地を東口らへんから出た後は国道1号へ戻って、今度は桶狭間の方へ。
地図もろくに確認せずに「行けばなんとかそれっぽい所にたどり着けるだろう」という超いい加減な気持ちで向かったので、途中チョット道に迷いかけたんですが、なんとか最終的に古戦場公園や信長坂に辿り着くことが出来ました。

2018092510.jpg
↑これは公園にあった石像の前で撮った写真。

公園には石像とか石碑があるくらいでそれ以外には特に何もなし。
そこでしたことと言えば石像の写真を撮ったりとかその程度ですが、ただあのあたり一帯は昔いくさがあったとは信じられないくらいのどかな場所だったので、居心地というか雰囲気は中々よかったです。
あと信長坂の方は言われなければ気づかない程度のごく普通の坂でしたが、「ここで昔いくさがあったのかー」と思うとチョットだけ感慨深さが湧いてきました。
(別に歴史マニアというわけではないですが)

古戦場公園から更に東に行って名古屋市の隣の豊明市に入ると、もう一つ「国指定史跡 桶狭間古戦場伝説地」というのもあったので、一応そっちにも行っておきました。
まあでもそこも石碑とかがあったりするだけの場所だったので、ワザワザ書いておくようなことは特にないかな(笑)
強いて書くことがあるとすれば、私が名古屋市外に出たのは5~7年くらいぶりだったので、ソレにちょっとだけ感動したということくらいでしょうか。

その後は道を引き返して、帰りは1号線ではなく緑区を貫くように走って帰路へ着きました。
ただ緑区は異様に道が入り組んでて坂もやたら多かったので、ただでさえ暑さによって不足していた体力がますます削られて普通に死にかけました・・・。

ちなみに超どうでもいい話ですが、この日汗をかいてるときに自分の腕を舐めてみたら塩の味がしてとてもおいしかったので、汗をかいた日には腕とか手の甲をペロペロ舐めるのをお勧めします。中々いい感じですよ。



⑤7月29日 木曽川・六華苑(三重県)

前回の旅行では市外に脱出したので、「次は県外に行きたいなあ」とボンヤリと考えていました。
そして色々地図を見ていた結果、なんとなく名前だけは知っている木曽川が見てみたいなあという気分になったので、この日は国道1号を西に進んで木曽川のあたりまで車で出かけることに。
(自転車でもよかったけど、流石にチョット遠すぎるし夏の道はキツイので断念)

木曽川(+長良川)の風景は期待を裏切らないものでした。
というかそこまで最初は期待していなかったので、期待していたよりもずっと良かったというべきか。

地図で見ると分からないんだけど、実際に行って見てみると思ったよりも川幅があって、かなり迫力がありました。
あと水質は都会から離れた川だけあってソコソコ綺麗だったので、それも個人的にはプラスでしたね。
普段都会のゴミゴミした中でしか暮らしてなかったから、そういうゴミゴミ感のない広く開けた風景が新鮮だったというのもあるかもしれませんが、あの川の眺めは一度は見ておいても損はないと個人的には思いました。

川沿いに車を止めてぼーっと風景を眺めていたわけなんですが、ここでやったことと言えば前の庄内川の時と同様川に石を投げ入れるとかその程度ですね。
あとは川沿いには蟹とかがチラホラいたので、それを捕まえて持ち上げる遊びとかも一応やってました。
(いい年して何をしているのか・・・)

あと車を停めたところの近くに六華苑という観光名所もあったので、そこにも一応寄ってきました。
どんな建物か良く知らずに入ったわけなんですが、ここにあったのは洋館と和風建築が合体している中々珍しい建築物でした。

建築に詳しくないので、あんまり善い悪いは言えないのですが、個人的には「ここまで来たら寄ってもいい場所かな」とは思いましたね。
ただし、ここの庭園で松ぼっくりを拾ったら大量に小さい黒い虫が穴という穴からわきだしてきてぞっとしたので、それだけは苦い思い出です。

ちなみに帰りは国道1号を曲がってあま市の方を通って帰路についたけど、そっちの方は特に面白いものはなかったので話は省略。



⑥8月14日 犬山城・小牧山城(愛知県)

前々回に南の方角に行って前回に西の方に行ったので、今度は別の方角に何かないかな~と探していたところ、手ごろな距離に犬山城という城があったのでこの日はここに行くことに。

この日も家から距離があったので移動手段は自動車にしました。
行きの道路は102号線(途中からは27号線)をまっすぐ延々と北へ。
途中でこの間自転車で来た庄内川を通過したのでチョット感慨深かったですね。
102号を北上すると途中左手に男性器を祀ってある(比較的有名な)田縣神社という神社がありましたが、流石に寄っていく勇気はなかったので、ソコは今回はスルーしました。(笑)

犬山城につくと、この時はお盆の時期だけあって結構な数の人がいましたね。
そんなに大勢というわけでもないんだけれど、城の入口らへんではソコソコの数の人が列をなしたりしていました。
中にももちろん人がたくさん。
個人的に人気のない場所の方が好きなので、もっと人のいない時期に来ればよかったとここはチョット後悔しました。

城は最上階まで登るのがかなり大変でしたね。
敵の侵入を防ぐのが城の存在意義なんだから当然と言えば当然なんですが、城に行くまでの道も坂だらけで、城の中も傾斜が急な階段が数多くあったのでこの日は膝がかなり痛くなりました・・・。
ところで城の内側の通路は観光客が歩くせいで床の黒い色がだいぶ剥げてしまっていたけど、あれは一体よかったのかどうなのか。

最上階はある種の展望台みたいな感じで、外に出ると360度周囲を見渡すことが出来ました。
城自体はそんなに高くないんだけど、山の上にあるので最上階の眺めはかなり良かったです。
南側に行けば名古屋の方まで眺めることが出来ましたし、北側に行けば木曽川を高い所から眺めることが出来ました。
写真を貼るとこんな感じ。↓

2018092509.jpg

写真では分かりにくいですが実際に行って見ると結構高くて怖かったです。
ちなみに、この時は「こんな訳の分からんやつ(ぶち丸)が天守に登っていると知ったら、昔の城主はどう思うかな~」とかしみじみ考えていましたね。(笑)

その後城から出た後は、駐車場の値段があがると嫌なのでラムネを飲んでから早々に退散しました。
帰りの道は行きとは違って41号線を南進していったのですが、まだ日が暮れるまで時間があったので、ついでに小牧山城にも寄っていきました。

小牧山城は小牧山というそんなに高くない山の上にある城(というか資料館)で、犬山城と違って後世になって作られた城なので全然価値は低いのですが、見栄えは別にそんな悪くはなかったです。
山頂までは確か速足で20分くらいだったかな。
犬山城に登った後で膝がかなり死にかけていたのですが、そのときは何とか山を登りきって小牧山城まで行くことができました。

2018092511.jpg

↑一応写真を載せとくと小牧山城はこんな感じでした。
(肝心の犬山城の方はウッカリ写真を撮り忘れたので、写真はナシ)



⑦8月28日 佐久間ダム(静岡県)

8月後半は名鉄にでも乗ってどっかに行こうかなあと考えていたのですが、青春18切符という季節限定のJRの一日乗り放題切符があることを知ったので、予定を変更してJRでどっか遠くに行くことに。

青春18切符は五日分セットで販売しているので、この日の旅行から9月10日の旅行までの5回の旅行の移動手段は全部電車(+徒歩)です。
ただ、電車に乗って帰ってくるだけで終わりだとチョット寂しいので、それぞれの旅行で一応目的地的な場所は設定しました。
この日は色々考えた結果、次のような移動プランを用意してから始発で出発しました。

①金山駅で東海道本線上りに乗車
②豊橋駅で飯田線に乗り換え
③中部天竜駅で下車、目的地「佐久間ダム」に行く
④再び中部天竜駅で飯田線に乗車
⑤そのあとは辰野・塩尻・中津川を経由して再び金山へ

金山から豊橋までの車窓の風景は、明け方の頃合いだったからか中々綺麗でしたね。
出発してすぐの頃には左手にこの間行った大高緑地が見えたし、結構進んでいった頃には広々とした田園風景とか山々とかが色々見えたので、それは個人的に中々良かったです。
ただ、電車の中は通勤中のサラリーマンがかなりたくさん乗っていて、それについては結構窮屈というか居心地が悪い感じでした・・・。

豊橋につくと数分で飯田線に乗り換えて中部天竜駅に向けて出発。
(多分)生まれて初めてJRの乗り換えを一人でやりましたが、難なくできたのでそのあたりはよかったです。
着くまでにかかった時間は二時間くらいだったかな。
確か結構時間がかかっていたので、着くころには身体がクタクタになっていました。

乗っていた人々について言うと、今度は電車に学生がソコソコ乗っていました。
ただ、中部天竜駅に着くころには学生集団は殆どいなくなって、乗っている人数は数人とかでしたね。

中部天竜駅までの車窓風景は、延々と山の間を走っていたのでひたすら山の景色ばかりが見えていました。
最初の方はお~って感じで外の風景を眺めていたんですが、途中からは見飽きたからか結構ウトウトしていました。(笑)

ちなみに電車の中にはちゃんとトイレがありました。
結構長い距離をは知ることを知っていたのでトイレはちゃんとついてるかなと心配していたのですが、乗っていた列車にはちゃんとついていたのでソコは一安心。

中部天竜駅についてからは天竜川を橋で渡った後、県道一号線の坂道を徒歩で延々と上っていきました。
佐久間ダムまでは駅から歩いて一時間くらいの距離なので、かなり歩きましたね。
最近は長距離を歩いてたら膝が痛くなってくるので、それのせいか途中かなりしんどかったです。
(このときも「何で私はこんな所を必死こいて歩いてるんだろう・・・」と自問自答していました笑)

そして、それに加えてダムに行くまでに途中に4つトンネルがあって、これが中々怖かったです。
明かりは殆どついていないし、道がなんか濡れているし、狭い道なのに大型車が沢山通るし、トンネル内だからトラックが走る音が滅茶苦茶響くし・・・。
ネットとか見てると他にも歩きでダムまで行った人がいたので自分も結構行けるかなと思ったんですが、途中で「やっぱこういう辺境には車で来たほうがいいなあ」と後悔しましたね。(苦笑)

20180926.jpg

ちなみに画像を貼っておくと、こんな感じ↑のトンネルでした。
歩いているときはそんな気づかなかったんですが、写真で撮ってみるとグロさが際立って見えますね。

その後4つ目のトンネルを抜けるとダムにつきました。
ダムのある辺りは山奥なだけあって、静かでとても落ち着いた感じの場所でした。
自分以外には人は流石にほとんどいなくて、たまにチラホラ見かける程度でしたね。
個人的に人がいないところに行きたかったので、そういう意味でここはかなりいい感じの場所でした。

ダムのサイズは思っていたよりも壮大だったので、「これを人間が作ったのか~」と個人的に結構感動しましたね。
一応下に斜め横側から撮った写真を貼っておきます。

IMG_0430.jpg

ダムの上部には道があって、そこは誰でも歩くことが出来ました。
下の写真はその道路を撮影したものです。
一応植物とかが道の脇に飾ってあって、個人的にはコレが中々いい感じでしたね。

2018092602.jpg

そして、そこの道を歩いていると右手に湖が見えて、これも中々綺麗で感動モノでした。
やはり、湖と遠くに山が見える風景は奥行きがあっていいですね。
湖の水は透き通っているとかではないけど、そこまで汚れておらず綺麗な方だったので、それも個人的には良かったです。

湖の風景は印象的だったので、下に画像を貼っておきます。
(結構ダム周辺ではヘリが飛んでいたので、下の写真の中にはヘリが映りこんでいます。)

2018092601.jpg

ちなみに道路の左手には絶壁が広がっていました。
写真では分からないかもしれませんが、落ちたら確実に死ぬ高さだったので、これは普通に怖かったですね。

2018092603.jpg

下の写真のような道とかも作ってあって、「ようこんな道作ったなあ・・・」としみじみ感心したりもしてました。
(高所恐怖症なので、こんなところ歩いたら確実に足がすくんでしまう)

2018092606.jpg

ちなみにダムの近くには電力館という施設がありました。
内容は、ダムの仕組みとか歴史を学べるパネル・写真があったり、子供向けのゲーム・模型があったりとか大体そんな感じ。
まあ無料だったし、ここはそんなに興味深い場所という感じではないかな。(笑)
ただ電力館の上には展望台があって、そこからもダムを眺めることが出来たので、それは中々よかったです。

ちなみに受付では署名をすることでダムカードというものをもらえました。
こういうカードはどうやらここだけではなくて、他のダムでも配っているらしいです。
ただまあ別に熱心なダムマニアではないから、全国のダムを回ってコンプリートを目指すとかは別に無いかな。(笑)

まあ感想的なことをザックリ言うと、このダムは長い道のりを越えて行った甲斐はありましたね。
もしかしたら今年の夏行った場所の中ではここが一番良かったかも。
勿論山奥にあるので行くのにだいぶ疲れはしたんだけど、まあ行ってよかったとは個人的に思ました。
また行く機会があるかは分かりませんが、もし機会があれば30年後とかに再訪してみたいですね。

その後は再びあのトンネルを(嫌々)通って道を引き返して駅まで戻りました。
そして電車に乗ってからはまた山道を延々と走っていったわけなんだけど、流石に山の景色を見るのはこの頃にはうんざりしてきていたので、ひたすらぼーっと無心で外を眺めている感じでしたね。(笑)

飯田線に何時間も乗った後は終点の辰野駅に到着。
そしてその後は難なく乗り換えを数回こなして、やっと家に無事帰ることが出来ました。
家についたのは確か夜の10~11時位だったので、一日の殆どは電車に揺られていたことになりますね。

ちなみにこの日の旅行は、乗り換えを失敗したり列車に遅れが出たりすると日帰りが出来なくなってしまう時間的にシビアな旅だったのですが、途中で特にトラブルは発生せず運よく帰ってこれたので、そのあたりはほっとしました。



⑧9月2日 石川県立美術館・兼六園(石川県)

前回の旅行では東海道本線を上り方面に行ったので、次は下り方面で手ごろな場所が無いかなと探していたんですが、色々考えた結果この日は金沢に行くことに。
プランは大体下のような感じでした。この日も朝っぱらから金山駅へ行って始発で出発。

①金山駅で東海道本線下りに乗車
②大垣駅、米原駅等で乗り換えて金沢駅で下車
③目的地の石川県立美術館・兼六園へ行く。
④そのあとは金沢駅から行きと同じ路線を引き返して再び金山駅へ

前回の旅行で電車には乗り慣れた感じだったので、この日は手際よく目的地に向かうことが出来ました。。
乗り換えのミスとかももちろん無し。
ただ、途中乗り換えの駅で若い女性がなんか悪いことでもしたのか警官四人に引っ張られていく光景を見かけたのですが、あれは一体何だったのか・・・。

車窓の風景の綺麗さは前回の旅行の時とまあ大体同じだったかな。
大雑把に内容を言えば、まあ普通に田園風景が見えたり山が見えたり、という感じでした。
後は途中に長いトンネルがあったりとか。
ただ、さすがにもうこの手の風景は見飽きていたので、そこまで感動はしませんでしたね。(笑)

ちなみにどうでもいいことだけど、行く途中左手に二回巨大な仏像が見えました。
確か長浜駅のあたりと加賀温泉駅のあたりにあったはず。
町中に仏像がドーンとあって、それが中々奇妙な雰囲気を醸し出していたので個人的に印象に残りました。

金沢駅には電車に揺られること5~6時間ほどでようやく到着。
金沢の街は広い道にはビルばっかが建っていたりするんだけど、奥に行くと結構古めかしい建物とかがあって歴史を感じましたね。
個人的には街のあちこちに裸の人物の像があったのが中々良かったです。

2018092607.jpg

一応写真を貼っておくと、上の写真に写っている像みたいのが町中にチョコチョコありました。
私は個人的に「裸で外出することは合法化されるべき」という思想を持っていたりするので、こういう裸の素晴らしさを訴える試みは他の街でもどんどんやってほしいですね。
(多分像を置くような人たちは私が持っているような思想は持っていないと思うけども)

裸の像をジロジロ眺めたり、写真を撮ったりした後は目的地の石川県立美術館へ向かいました。
駅から結構距離があって、しかもその上結構道草とかもしたのでこの日も膝のコンディションがやばかったのですが、まあ何とか無事に目的地には到着しました。

石川県立美術館には鴨居玲という画家の作品が沢山ありました。
一応彼の絵に期待してここに行ったというのもあるんですが、やはり彼の作品はどれも素晴らしい出来で期待以上でしたね。
だいぶ大きいキャンバスに描いてある絵ををかなり近づいてみることが出来たので、中々迫力がありました。
あとはパソコンでは見れない細かい筆致とかも現物を前にすることで見れたので、そのあたりもとてもよかったです。

彼の作品はどれも暗いので見る人を選ぶと思うけど、性格の暗い人とかは結構気に入ると思います。(笑)
まあ興味がある人は画像検索で絵を見てみるなり実際に行って見てみるなりしてみてください。

鴨居玲の作品以外にも洋画・邦画でチラホラいい作品はあったけど、まあ挙げだしたらキリが無いからそれらは今回は触れないでおきます。
とりあえず美術館についてはそんなところです。

美術館を出た後は二つ目の目的地である兼六園に行きました。
この庭園は名前だけ知っていて一応行ってみたんですが、特に中に何か凄いモノがあるというよりかは全体で一個の作品という感じでしたね。

兼六園は日本でも有数の庭園と聞いて期待していたので、思ったより普通の庭園だったのは個人的にガッカリだったかな・・・。
勿論すごい手入れがされていてシッカリ整備されていたとは思うけど、それに加えて+αが個人的には欲しかったです。

まあでも、ここに行って自分は日本庭園には別にそんな興味がないことは確認は出来たので、それは一応よかったですかね。
ちなみに庭園内にはかなりの数の外国人(白人系)がいたので、チョットだけ外国に来てるような気分がしました。
(日本庭園に来たのに。)

その後は若干道に迷いつつも駅に何とか戻って電車に乗り、行きと同じ路線を走って無事帰宅。
ちなみに金沢でお金を使ったのは駅で100円のおにぎりを買う時と、美術館の常設展のチケット(500円くらい)を買う時と、兼六園の入場チケット(300円くらい)を買う時だけだったので、全部でかかった金額は1000円もいってないですね。
ここまで金を使わない観光客とか金沢市にとっては全然ありがたくない存在だろうな・・・とか思ったけど、まあビンボーだからその辺は仕方がない。



⑨9月6日 山梨県立美術館(山梨県)

前々回と前回の旅行で東海道本線に乗ったので、この日は中央本線に乗ってどっかに行くことに決めていました。
そして、出来るだけ家から離れてて、かつ日帰りできる場所という条件で考えていった結果、山梨県立美術館がちょうどいい感じの場所にあったので、この日はここに行きました。

この日走ったルートは次のような感じです。
ちなみに美術館に行った帰りに行きと同じ路線を走っていかなかったのは、静岡方面に行って列車から富士山でも久々に見ようと思っていたからです。

①金山駅で中央本線に乗車
②中津川駅・塩尻駅等で乗り換えて延々と東に進んだのち竜王駅で下車。
③目的地の山梨県立美術館に行く。
④再び竜王駅で乗車、その後甲府まで行きそこで身延線に乗り換え。
⑤身延線で南下した後は富士駅で東海道本線下りに乗り換え、その後は出発地の金山駅へ。

出発はこの日も始発でした。
車窓の風景は、この日の行きに見たやつが個人的には一番良かったですね。
中央本線は山々の間を延々と走っていく路線だったのですが、台風が過ぎ去った後だったからか、山から蒸気が出ていて一時かなり幻想的な風景が広がっていました。
あとは全体的に標高が高かったからか、山が凄く高く感じられたのも個人的にプラスでしたね。
(あんまりいい写真が撮れなかったので、ココには載せないけども)

ちなみに中央本線に乗っていくとやがて「寝覚の床」という景勝地が見えると聞いていたので外を注意して見ていたのですが、それに関しては一応見ることが出来ました。
ただ列車からは森に遮られて少しだけしか、しかも一瞬しか見えなかったので、それはちょっと残念でしたね・・・。

昼頃に竜王駅に到着して、そこからは徒歩でしばらく歩いて無事山梨県立美術館に到着。
この美術館にはミレーという画家の絵がいっぱいありました。
一応この日は彼の作品を見にここに行った感じだったんですが、ただ思っていたほどすごくはなかったかな。

田舎の風景を描いた絵が多かったんですが、描写にそんなに魅力を感じないというか、そこまで刺さるものは個人的に無かった感じです。
むしろミレーと同時代の他の画家たちの作品の方が個人的には面白かったですね。(笑)
あとは受付のおねいさんの対応が丁寧だったのが良かったかな。
まあとりあえず美術館の感想については、大雑把に言えばそんなところです。

美術館を出た後はノンビリ近くにあった公園を散策とかしてました。
ここにはかわいい猫とかがいたぐらいで特に目を引くものは何もありませんでしたが、まあ雰囲気が落ち着いていたので、ソコは結構よかったです。

竜王駅に戻ってからは甲府へ行き、そこで身延線に乗り換え。
身延線はそんな車窓の風景に期待してなかったけど、案の定そんなに面白くなかったのでそこは残念でしたね。(笑)

身延線で延々と南に進むとやがて富士山が見えてきました。
ただ、この日は若干曇り気味だったからか、山がそんなにくっきりとは見えなかったのでソコはガッカリでした・・・。

その後富士駅で乗り換えた後は、そのまま東海道本線下りに延々と乗って金山駅へ戻りました。
着いたときにはすっかり夜だったので、この日もほとんど一日中電車に乗っていた感じでしたね。



⑩9月8日 須磨水族館・王子動物園(兵庫県)

手ごろな目的地を探していると、神戸にパンダがいる動物園があるということをネットで知ったので、この日は神戸の方に行ってみることに。
この日乗った電車のルートは次のような感じでした。

①金山駅で東海道線下りに乗車
②米原駅、京都駅、大阪駅等を通過し須磨海浜公園駅で下車
③一つ目の目的地の須磨水族館に行く。
④須磨海浜公園駅で乗車し灘駅で下車。
⑤二つ目の目的地の王子動物園に行く。
⑥灘駅で乗車し大阪駅、京都駅、米原駅等を通過し金山駅に戻る。

行きの列車では遠くの方に彦根城が見えましたね。
一応現存天守らしいのでチョット寄ってみたかったけど、予定が狂ってしまうのでここは仕方なくスルー。
そのあとは暫く行くと、京都と大阪の間らへんでチョコレートの外見をした明治の工場とかが現れて「おっ」てなりましたね。
(別にああいうのは面白くないけど)

淀川等を超えて須磨海浜公園駅には四時間ほどで到着。
そのあとは駅から歩いてすぐ近くにある須磨水族館に行ってきました。

この水族館ではショーや餌やりを見れるイベントをやっていたので、それらが開催される時刻を考えて館内を回りましたね。
一番最初にラッコの餌やりを見ました。
水槽がチョット汚れてて見えづらかったですが、餌を食べるラッコ二匹はだいぶ可愛かったですね。
ちなみにラッコは国内では10匹ぐらいしかいないらしいので、そういう意味ではここで見れたのは中々ラッキーでした。

その後はイルカショーの方へ。
ショーの施設は結構広いのかなと勝手に思ってたんですが、思ったより小さめでした。
観客は殆ど親子とか若い人の集団だったので、一人で暗めの服を着てじっくりショーを見ていた自分はチョット浮いてましたね。

ショーの内容はイルカが跳ねたり勢いよく泳いだり合図に合わせて動いたりとか大体そんな感じ。
イルカは元気よく動いていたし可愛かったけど、演出が全体的に子供向けだったので、個人的に見ていてちょっと恥ずかしい面がありました。(笑)

その後はテッポウウオが餌を打ち落とすショーやピラニアが餌を捕食するショーなんかを見てから本館の方へ。
本館にはかなり大きい水槽とか、いろんな魚を回って見れる通路なんかがあってソコソコ楽しめました。
個人的には本館の3階が一番楽しかったですね。
ここでは表面のザラザラしたサメを触ることが出来ました。
あと3階には手を水に突っ込むと手に吸い付いてくる魚たち(名前は忘れた)のいる水槽なんかもあって、かなり腕がこしょぐったかったのを覚えています。

とりあえず水族館に関しては大雑把に言えばそんな感じでした。
須磨水族館は動物の種類も比較的多かったので、個人的にはソコソコ楽しめましたね。
ただ、この日は休みということもあってか親子連れがかなり多くて、精神的に疲れたというのはチョットあったかな・・・。

その後、水族館のすぐ近くに海岸があったので一応そこにも寄っていきました。
白い砂浜で、時期によっては人が一杯くる場所なのかもしれませんが、私が行ったときはもう夏も終わりかけていたからか人気は殆どなくて、かなり寂しい場所でしたね。
海岸には打ち上げられたゴミが散乱していたので、そんなに景観は綺麗とは言えなかったかな・・・。

ちなみに海岸からは遠くの方に明石海峡大橋が見えました。
あの橋は遠くから見てもかなり大きいと分かる立派なものだったので、個人的にはチョット渡ってみたかったですね。
ただ、時間的都合や金銭的都合でこの日渡るのは勿論断念。

その後はまた電車に乗って、今度は例のパンダがいる王子動物園へ。
動物園にはパンダがいるから客が多いのかなと心配だったのですが、雨が降っていたこともあってか客はほとんどいなかったので、そこらへんはありがたかったですね。

動物は結構な種類がいましたが、一応全部見て回りました。
画像を貼りすぎるのもアレなので、ここにはお目当てだったパンダの写真だけ貼っておきます。

20180927.jpg

屋外にいるかなと思ったら雨が降っていたので、この日は屋内にいました。
一応パンダは園内を回っている間二度見に行きました。
これは二回目に見に行った時の写真です。
一回目見に行ったときはひたすら笹を食ってて、二度目見に行ったときはひたすらゴロゴロしてました。
パンダってあんまり動き回らないんでしょうかね。
ちなみにパンダは日本で東京・和歌山・神戸にしかいないらしく、日帰りで行ける範囲にパンダがいたのは中々ラッキーでした。(ピース)

その後は再び灘駅に行って、電車に乗って長い時間揺られたのち帰宅。
電車に何度も長いこと乗りすぎたせいか、流石にこの頃には電車に乗るのにウンザリしてきてましたね。(笑)



⑪9月10日 城ケ崎海岸(静岡県)

この日は青春18切符使用期限の日だったんですが、行く場所がギリギリまで決まらなくて結構悩んでいました。
そして最終的には、Googleマップで静岡に1000以上レビューがついてる有名そうな海岸を見つけたので、そこに行くことに決めました。
この日走っていった路線は次のような感じです。

①金山駅で東海道本線上りに乗車。
②豊橋駅、熱海駅等での乗り換えを経て城ケ崎海岸駅で下車。
③城ケ崎海岸に行く。
④帰りは同じ路線を戻る。

ちなみに、この日も電車に乗っている途中左手に富士山が見えました。
ただ、この日も天気は曇りだったのでハッキリとは山は見ませんでしたね・・・。運が悪い。

熱海駅に着いてからは伊東線に乗り換え。
ちなみに熱海から伊東駅までは青春18切符で行くことが出来ましたが、伊東駅から城ケ崎海岸駅まではJRの線路ではなかったので、行き帰りで1000円が余分にかかりました。
まあ1000円くらいなら別にいいんだけどね・・・。
ただ、路線が直通だったから普通に青春18切符だけで行ければ便利なのになあとは個人的に思いましたね。

城ケ崎海岸駅から海岸までは、すぐ行けるかと思ったら思ったより結構距離がありました。
ただ、駅からほとんどまっすぐ看板に従って歩いていけば着いたので、道に迷うとかは無かったですね。
また道はそんな急な坂とかは無くて比較的緩やかだったので、ソコも個人的には有難かったところです。

延々と歩いてるとやがて海岸の駐車場に到着しました。
そして駐車場からさらに海沿いの方へ行くと、道が北の方角へ行くやつと南の方角に行くやつに別れていました。
灯台とか有名な吊り橋(かなり高いところに渡してある)は北の方にあったのですが、私は冒険心が強かったので、ここでは南の方に行くことに。

南の道は階段が沢山あったり、道が舗装されてなかったりしたのでかなり歩きづらかったです。
しかも、この辺りを歩いているときには突然激しい雨が降ってきたりしたので、かなり体力を消耗しました・・・。
(一応折り畳み傘を持っていたので何とかなりましたが)

ちなみに、南の道を歩いているときは下の写真のような風景が見えました。
写真では分かりにくいかもですが、結構な高さの崖があったりしたので、歩いてると所々でスリルを感じることが出来ましたね。
(途中にいのちの電話の番号が書いてある看板があったので、もしかしたら自殺の名所だったのかも)

20180928.jpg

あと、この日は平日だからほとんど人はいないかなと想定していたのですが、外国人の人や若いカップルや歳をとった人の集団なんかはチラホラいましたね。
この海岸沿いを延々と歩いているときは結構人に話しかけられました。
ある時はおばさんの集団(或いは個人)に話しかけられたリ、またある時は中国人の人に話しかけられたリ。
私は結構人見知りするタイプなので、話しかけられたときはどう返したらいいか結構戸惑ったりしましたね。
しかも中国人の人は普通に中国語で話しかけてくるもんだから、かなり焦りました。(笑)

延々と南に行くと最初のとは別の駐車場に出たので、その後は再び北の方に引き返しました。
北に戻るときは同じ道ではなく別の林道を歩いて行ったのですが、この道は雨のせいか土がぐちゃぐちゃになってて結構な水たまりなんかも出来ていました。
そのときは一連の旅行で履きつぶしたせいで靴のかかとに穴が開いてたので、水たまりを避けるのに必死でしたね。(笑)

その後最初の分岐点に戻ってくると、今度は北の方へ行きました。
北の方が南の方よりも見どころは多かったですね。
北の方は南の方に比べて崖のすぐ近くまで行けたので、更にスリルがありました。

どれくらいスリルがあったかというと、一応下の写真で見えるぐらいには崖っぷちに接近することが出来ました。
(写っている人物は赤の他人です)

2018092801.jpg

その後北にさらに進むと、例の吊り橋が見えてきました。
この吊り橋は崖と崖の間に渡してある吊り橋だったので、かなり怖かったですね・・・。
高所恐怖症なので、上を歩いているときは揺れたりしないように慎重に忍び足で歩いてました。(笑)

一応写真を貼っておくと、下の画像が吊り橋の入口の写真です。

2018092802.jpg

そして、次の下の写真が橋の下を撮ったものです。
この写真は勇気を出して、橋から腕を伸ばしてカメラで何とか撮りました。(笑)

2018092803.jpg

その後さらに北の方に行くと岩石地帯がありました。
このあたり一帯は溶岩が固まって出来たっぽいので、かなり特徴的な形をしていましたね。
一応写真を貼っておくと下のような感じです。
(この写真は岩石を比較的間近で撮ったものです)

2018092804.jpg

その後はさらに北に道が続いていたので、そっちの方へ進みました。
しかし、さらに北の方には若干古めの砲台があったぐらいで、その他には何もなかったので、ある程度進んだところで道を引き返しました。
そして、その後は駅にまた戻って電車で熱海まで行きました。

海岸に行った後は御殿場線に乗って駒門風穴という鍾乳洞に行こうと思っていたのですが、この日は海岸で無駄に歩いてしまって足がかなり痛くなってしまったので、ソコに行くのは断念。
駒門風穴に行けなくなって時間が余ったので、その後は熱海で暫くブラブラしていました。

熱海には特に何か目を引くものは無かったですね。
バスとかに乗れば一応観光地は色々あるっぽったのですが、そこまでする気は無かったので熱海では駅のあたりをしばらく散策しただけでした。
そして暫くして散策する気が失せたら、その後は東海道線下りの電車に乗って家のある愛知県の方へ戻っていきました。

その後も時間が余っていたので静岡のどこかで降りようかなあと思っていましたが、結局静岡ではどこでも降りることはなくズルズルと豊橋駅へ。
豊橋駅に着いた頃は夜の6~7時ごろでした。
青春18切符の使用期限である翌日の00時まではまだ時間があって、そのまま帰るのはもったいなかったので、このとき豊橋駅で一応降りてみました。

豊橋駅周辺にも特に面白そうなものは無かったですね・・・。
ここでは道をウロウロしたくらいで特に何もしませんでした。
唯一やったことと言えば地下にあった公衆トイレで用を足した位です。(笑)
あとはコンビニでおにぎりでも買おうと駅のコンビニに入ったけど、好きな味が売り切れていたので、結局ここでは何も買いませんでしたね。

その後は再び電車に乗って、そのまま何処でも降りることなく金山駅へ戻っていきました。
青春18切符はこの日で使い切ったので、電車の旅はこれでいったん終わりです。



⑫9月23日 伊勢神宮(三重県)

青春18切符でアチコチに行って満足したのか(或いはウンザリしたのか)その後はしばらく何処も行ってなかったのですが、この日は人に誘われて車で伊勢神宮に行くことに。

ルートは国道23号を延々と突き進んで行った感じです。
伊勢は名古屋からは結構離れているのですが、親切なことに道はただひたすらまっすぐ進めば着くようになっていたので、迷ったりすることは特に無かったですね。

駐車場で車を止めてからは川沿いを暫く歩いていきました。
途中川辺で石を投げたくなったので、川に寄って結構な回数石を投げたりしてましたね。(笑)
水面で石を跳ねさせるには極力石を水面と平行に投げるのがコツらしいので、一応それに従って投げましたが、私は3回程度が限度でした。
ただ他に10回位水面で石を跳ねさせてる人とかもいたので、そのときは内心「スゴーッ」って思いましたね。

石を投げた後はまたしばらく歩いて、入口の鳥居と橋の方へ。
神社の入口と中は結構な人がごった返していたので、そのへんは「平日に来ればよかったかなあ」と後悔した次第です。

中に入ると砂利をまいた道と、ソコソコの数の神社建築と、森がありました。
一連の神社建築は上質な木材を使って凄く精巧に作られていて立派でしたが、そこまで感動はしなかったかな。
あそこにあった建築は全体的にピカピカで立派すぎたのがチョット残念でしたね。
個人的にはボロボロで古めかしい建築が好きなので、そういうのが沢山あればもっと好きになれたかもしれません。
(まあ一応神聖な神社という建前だから建築をボロくするわけにはいかないのでしょうが)

ただ神宮内にある木々は太くて長くて立派なものが多くて、それは普通に感動しましたね。
都会にいるとああいう木には滅多にお目にかかれないので、そういう意味では貴重な体験が出来ました。
とりあえず神社に行った感想は簡単に言えばそんな感じ。

帰りは神社の近くに商店街があったのでそこに寄ってきました。
そこでは売っているものが全体的に高かったので殆ど買い物はしませんでしたが、一応芋味のアイスクリームとかは買って食べましたね。
値段は350円でした。
チョット高い値段だったけど味自体は悪くなく中々美味しかったので、これにはソコソコ満足。

その後は駐車場に戻って車に乗り、国道23号を延々と引き返して名古屋の方に戻っていきました。
結構な距離を走ったので途中トラブルが起きないか心配でしたが、無事何事もなく帰ってこれたので、そのへんはホッとした次第です。



以上がこの夏行った一連の旅行の記録です。
いや~非常に疲れましたね。
旅行に行ったのも凄い疲れましたけど、この旅行記を書くのも時間がかかって凄い疲れました。(笑)
とりあえず何処にも泊まらず日帰りで行く旅行は、「楽しむもの」というより「疲れに行くようなもの」だということはこの夏実感した次第です。

ちなみに言うと、一番大変だったのは9月6日~10日ですね。
この時期は青春18切符の期限が迫ってて一日おきに遠くに旅行に行かないと行けなかったので、かなり身体的にハードでした。

もっと早めに旅行に行って青春18切符を消費しておけば良かったんですけどね。
まあでも券の存在を知ったのが比較的遅めだったし、台風が来て電車が止まっているときも結構あったので、こればっかりは仕方がない。



とりあえず夏の始め頃に抱いた「きれいなもの見たい」とか「面白いもの見たい」とか「普段あんまり見かけないものが見たい」といった欲求はソコソコ満たすことが出来た気がします。

ただ一連の旅行全体の感想を言うと、そんなに面白くはなかったですね。
つまらなかったというわけではないんだけど、もし人に「旅行楽しかった?」と聞かれたら「ウ~ン・・・」としか言えません。

正確に感想を言おうとすると、「別に行かなくてよかったとまでは思わないけど、行っても行かなくてもどちらでも良かった」というのが正直なところですね。
まあ何処も行かずに家でパソコンいじったり漫画読んだりするだけでも人生十分面白いからなあ。
それにお金をもっとかければ凄い体験が出来たかもしれないけど、そういうことが出来たわけでもなかったし。

まあでも、そんな面白いとか楽しいというような心躍る感じではなかったけど、どちらかと言えば行ってよかったとは思います。
ダムの風景とかきれいでしたしね。
あと見たかった海の景色とかも久々に見れたし。



ちなみにもっと行きたいところはたくさんあったけど、この夏だけでは当然それら全部には行けなかったので、ソコは今後行きたいところです。

東京の美術館・博物館とかね。
あとはロープウェイとかどっかの山の山頂とか洞窟等々・・・。

あと北海道とか四国とか中国地方とか九州の方は全然行けてないので、そこも目的地を何かしら設定して一度は行きたいところ。
ただ、これらの地域は日帰りは無理で泊りがけで行かないといけないのが悩ましいです。
漫画喫茶で一泊とかだけでも2000円くらいはかかりますからね。
どっかもっと安く(或いはタダで)泊まれるところがあると個人的にはすごく助かるんですが・・・。
ウーン、どっかないかなあ。

まあでも、いずれは上記のような遠い地域でもいい感じのスポットを見つけて出かけて行けたらいいなと思います。
次遠出するとしたら北海道ですかね。
どうやら愛知県から北海道までは飛行機で10000円もかからず行けるみたいだし。
ただ遠くの方のことはまだ全然知らないので、北海道に何があるのかとかは時間があるときにまた調べていく必要がありますね・・・。



結構長くなっちゃったけど、とりあえず今回の記事は以上です。
多分他の人には結構どうでもいい話ばかりになっちゃったので、もし最後まで読んでくれた人がいたら、その人にはツマラン文章を長々と読ませてしまってゴメンよという感じですね。(笑)

次の更新は多分また絵が出来た時ですかね。
それがいつになるか分からないけど、出来るだけ早くできたらいいなあ。
まあまたなんか書くことが出来たら、適当に文を投下します。
ではまた。

旅行記

07 2018

つらいことがあったら・・・

20180622.jpg

どーも、ぶち丸です。
最近は旅行にはまってたり、上手く絵が描けなかったり、精神が不安定だったりで中々新しい作品を載せる機会が無いんですが、今回は絵とはちょっと関係ない話をします。

今回の記事のテーマは「生きるのがつらい」と「生きるのがつらい時にどうするか?」の二つです。
最近生きるのが凄くつらいなあと思うことが多いので、これから自分の精神の治療のために上記のテーマに沿った文章を書いていこうと思います。
(中々面白くない内容になりそうだけど、あくまで書くこと自体を目的にしているからそのへんはご容赦いただきたい。)



で、まず「生きるのがつらい」の方から。
とりあえず最初に個人的なことを話すと、最近人間関係がとてもしんどいです。
そこそこ生きてきた人生の大半においてもまあ人間関係で辛いことは沢山あったけど、最近はまた精神状態が結構悪化するレベルでしんどくなってきています。

個人的に今人間関係で一番悩ましいのは、「どの程度相手に優しくし、どの程度相手に厳しくぶつかればよいのかがよく分からない」ということです。
酷いことをされたり言われたりしたときに、人間関係の上手い人は適度に怒ったり適度に優しくしたりといったことが上手に出来ると思うのですが、最近私はそこら辺の加減をいつも間違えます。
怒るべきところで相手に下手に出てしまって「あの時もっと言ってやればよかった!」とか「ああしてやればよかった!」みたいな感じで後悔したり、抑えるべきところで行き過ぎてしまって「ああ、あそこまで言わなければよかった!」「あんなことしてしまって恥ずかしい!」みたいな感じで後悔したりするみたいなね、最近そう言うことがホント多いです。
(具体的にどういうことがあるのか・あったのかは今回は言わないけども)

どの程度相手に怒り、どの程度相手を許すのがベストなのか見極めるのはホント難しいと思います。
もし世界のあらゆることを知っていれば自分が悪い(正しい)のか相手が悪い(正しい)のかは一目瞭然なのですが、真実は後になってから明らかになることが多々あるので、やはり相手に誤って怒ってしまったり相手を誤って許してしまったりみたいなことを私はやってしまうのです。
(私は一応そういった先のことを考えて、人に怒るときは、「出来るだけ冷静に、声を荒げずに、現時点で分かっている事実のみに基づいて、悪い言葉も使わずに人に怒りを伝える」みたいなルールを守ることは徹底していますが)

これはホントどうしたらいいんでしょうね?
常に他者を警戒してキレ気味に接するとか一切他人には怒らないようにするとか色々な選択肢は考えられるんですが、とはいえそれらはどちらも極端ですしね。
極端な姿勢をとりすぎると現実問題色々まずいので、どこかで(ここまでされたら怒り、ここまでのことだったら抑えるみたいな)線引きをするべきだと思うのですが、かといってこれが上手くいくかというとやはり上記のように私の無知さゆえに上手くいかないという・・・。
本当にどうしたらいいのかよく分からない感じです。

まあどうあれ、これからもこういった人間関係に関して私は様々な失敗をして苦しみ悶えながら生きていくことになるのでしょうね。
本当は人間関係を一切断って一人で孤絶した空間で暮らすのがベストなんでしょうが、そんな能力も場所もないので私は人々の間で揉まれながらも何とかしていくしかないんでしょう。
(嫌なことをされたときに怒って恨まれたり恥ずかしい思いをしたりみたいなことを残りの人生で延々と続けるのはバカバカしいし嫌なんだけどなあ・・・。)

なんでこんな苦行を延々とやらなければいけないのか未だに謎ですが、とりあえず以上のような人間関係の面倒くささが最近生きるのがつらいと思う理由のひとつめです。



そしてもう一つ生きるのがつらくなっている理由が一つあって、それは「病気がつらい」ということです。
過度な「精神的な病」を負っているということは多分ないんですが、そういうのではなく「身体的な病」が最近地味にきついです。

とりあえずその身体的な病とやらを箇条書きで列挙していくと大体つらいものは次のような感じです。

・皮膚の病気で全身のアチコチがかゆくなったり、肌がただれたする。
・犬歯の裏側にある虫歯(?)が徐々に悪化して何となく痛みや違和感があったり、奥歯のゆがみによって生じた奥歯の掃除が行き届きにくい部分が少し痛かったりする。
・慢性的な鼻炎で少しでも埃とか花粉を吸ったりすると鼻水が止まらなくなったりする。
・痔で尻から少し血が出る。
・風邪をうつされて熱は出ないが一カ月くらいずっと咳が止まらない。

他の大病を患っている人からすればどうってことない症状だとは思いますが、これらのようなちょっとしたこともやはりきついと言えばきついのです。

そして病気に関して特に悩ましいのが「人間不信であんまり医者にいく勇気が無いからどんどん症状が悪化していく」ということです。
本当はもっと気軽に医者に行って薬を貰ったりできればいいんですけど、医者と面と向かって話すのは私にとって厳しいものがあります。
性格のきつそうな医者にかかるのは勿論嫌ですが、例え性格がよさそうで善良そうな医者であっても、私の方の性格の悪さが見透かされる気がしてやはり医者に行くのは嫌な感じがします。

あと歯医者は予約するのに自分から電話かけなければいけないのが嫌ですね。
向こうからしたらそういう予約が必要なのは分かるんだけど、電話がすごく苦手な私にとって予約の電話をかけるというのはかなりつらいイベントです。

こういった事情もあって最近は中々医者に行けてない感じです。
で、医者に行かないからどんどん症状が悪化していくと。
(なんなんでしょうねこの悪循環は・・・。)

とりあえず以上のような病気関係の悩みが最近生きるのがつらいと思う理由のふたつめです。



そしてもうひとつ生きるのがつらい理由として、「チョットしたことが妙に気になる」ということも挙げられます。
今まで会った人々と比べても自分はトップクラスで神経質で細かいことを気にする性格だと思っているのですが、その性格が災いしてチョットしたことをものすごく引きずるようになってしまっているのです。

自分が凄く気にしてしまう出来事としては次のようなものが挙げられます。

・知覚過敏なのか前髪が額に当たるのが妙に気になる。
・眼鏡の鼻あての部分が妙に気になる。
・顔のほっぺらへんに出来た小さい傷が気になって延々と引きずっている

他の人からみたら相当しょうもないことかもしれないけど、個人的にはこういったチョットしたことが(恥ずかしながら)すごく気になってしまうんですよねえ。

こういったちょっとしたことを気にしすぎないようにするには色々対策方法はあるのだと思います。
例えば前髪が気になるなら額に髪がかからないに髪型にするとか坊主にするとかいった選択肢があるだろうし、眼鏡が気になるならコンタクトにするとかね。
顔の傷に関してはなんか化粧とかでごまかすとか、多分そういう方法があるのだと思う。

ただそういった対処法には中々手が出せないんですよね。
髪に関しては美容師に頼むのではなく自分で切ってるからそういう器用な(?)髪型には出来ないし、坊主にする勇気もないし。
眼鏡に関してはコンタクトにしてみてもレンズがすぐ曇ってしまったりして中々そっちに移ったりとかが出来ないし。
顔の傷に関しては傷を誤魔化すのはしょっちゅうそんな隠す処理をするのが面倒だし。

実際には上で書いている以上に色々手は尽くしているんですが、やはり最終的には上記の三つの悩みはどれもどうしようもない感じですね。
なので、こういったちょっとしたことは出来るだけ意識を向けないようにするしかないのでしょうね。
(でも、精神的に不調な時とかは上記のようなちょっとしたことがものすごく気になってきて、精神的にかなりイラついた状態になります。)

以前にもこういった悩みがあるみたいなことは書いたことがあると思うけど、そのときから全然状態が改善していないというのがつらいですね・・・。
とりあえず以上のようなちょっとしたことを気にしすぎてしまうことが最近生きるのがつらいと思う理由のみっつめです。



最近嫌だなと感じることは大体以上です。
もっと具体的なケースを取り上げたり、上では書いてない細かいことも全部書いたりしてもいいんだけど、まあ個人的な悩みは大半の人にとっては切実なものではないだろうし、どうでもいいことだろうとも思うので、とりあえず今回はお悩み紹介(?)はこんな感じで。

で、次に「生きるのがつらい時にどうするか?」の方のテーマに話を移して、実際に私が様々な生きている間に起きるつらいことにどう対処しているのか?について順番に書いていこうと思います。

以下で紹介する苦しみの対処法は「こうすれば苦しみを減らすことが出来るだろう」という想像上のものではなくて、あくまで「私が実際に色んなことで苦しいときにこうしている」というものばかりです。
いずれも意図的にやっているものではなく、気づいたらやってた!みたいな感じで殆ど無意識にやっているものなので特に他の人の参考にはならないと思うけど、まあ私と同じような苦しみを抱えている人がいたら意図的にTryしてみるのもアリかもしれません。



~ぶち丸流苦しみへの対処法~

〇声を出す

まず一つ目の方法はコレ。
一般的に言うと独り言というやつですね。
コストがかからずそんなに身体を大きく動かしたり激しく動かしたりということもないので一番お手軽な苦しみの軽減方法です。

何か恥ずかしいことをしてしまったり、人前でミスをしてしまったり、他人に嫌なことをされたのを思い出したり等の人間関係の苦しみが増してくるとコレが発動してくる可能性が大です。
(病気の苦しみとかチョットしたことに対する苦しみとかの場合では声が出てくるということはまずないけども。)

ちなみに私の場合は「あーーーーー!!!!!」「くぁwせdrftgyふじこlp」みたいな意味のない言葉を言うこともあるけど、大体意味のある言葉を言うことが多いです。
(「死ね!」「殺す!」「首吊れ!」「消えろ!」「死にて」「クソッ」などなど)

無意識に自分が発する言葉の内容は少しずつ変化していくので、その内容を分析することによって自分の心理状態が大体わかるというメリットがあります。
あと発する言葉は時間の経過に伴い少しずつ言葉が変化していったりするので、その変化していく様がそれ自体で面白いと言えば面白いです。

声の大きさとか調子は、そこまで苦しみが大きくないときは普通に話すときと同程度ですが、酷いときは支離滅裂な絶叫になる感じ。
この時の状況は絶対に人に見てもらいたくないですね。叫んだあと我に返った時普通に恥ずかしいので。

声を出してしまう場所に関して言うと、普段は一人で部屋でぶつぶつ言ったりするのが殆どですね。
ただし、よっぽどの(恥ずかしい)ことがあると道路とかでもつい声が出てしまったりします。

声を出すとスカッとするのは確かなんですが、この声を人に聞かれてしまうと逆に恥ずかしくなって苦しみが増していくのでその辺の注意が必要ですね。
家の外に人気が無いときや人気のない道で声を発するのがコツと言えばコツです。
(それでも聞かれてしまうときはやはり聞かれてしまうのだけど)



〇嫌なことを出来るだけ考えないようにする

次に紹介する方法はコレ。
この対処法は軽度のものであればどんなタイプの苦しみにも有効なので、日常的に結構やっていますね。
「苦しいことから目をそらさず生きる!」みたいな強靭な生き方もとても理想的なものであるとは言えるだろうけど、私は人一倍精神的に打たれ弱いので、どちらかと言えばやはり嫌なことは意識の中から遠ざけようとしている感じです。

ただ、考えないようにすると言っても頭を真っ白にするとかそういうことをしているわけでないです。
例えば、様々な苦しみに対して、仏教の修業みたいな感じで瞑想をするとか座禅を組むとかいったことで対抗する人も中にはいるのでしょう。
しかし、私の場合はなんだか無性に時間がもったいない気がしてしまうし逆につらい気分になってくるので、そういった頭を長時間空っぽにする系のことは一切やってないです。

座禅とかではなくて、むしろ私がつらいときによくやっているのは身体を動かすことです。
具体例を挙げれば意味もなく走り回ったり腕を振ったりヘドバンしたりダンスしたり激しくジャンプしたりとかですね。
こういったことは気が向いたときにやると完全にではないけれども嫌なことが頭からなくなっていくので、個人的にはかなり優れた苦しみへの対処法だと思います。
(他の人に見られたら激しくドン引きされるとは思うけども)

それとあとはとにかく「自分が楽しめることをやる!」ということを徹底することですね。
当たり前のことだけど、全然面白くないことをやっていると嫌なことは意識の上にすぐ浮かんできてしまうので、やはり出来るだけ楽しいことの方にだけ目を向けるのがポイントでしょう。
私なんかは、苦しみを抱えているときは絵を描いたり音楽を聴いたりどっかに出かけたり、とにかくなんでもいいからそのとき自分がやりたいことや楽しめそうなことに可能な限り手を出すよう心がけています。
(それでも本当につらいときは布団に寝っ転がってボケーっとするとか寝逃げする以外の何もできなくなってしまうけれども)

ただ問題は楽しいことがあまり長続きしないということですね。
無限の強烈な楽しさが永遠に持続する!みたいな感じだったら生きている間に起きる様々な苦しみには打ち勝てると思うんですが、やっぱり楽しいことはある程度時間が経つと飽きがくるし、大きすぎる苦しみに対しては楽しさは全く無力なので、そのへんがこの「嫌なことを出来るだけ考えないようにする」という対処法の限界と言えるでしょうか。



〇優しい人のことを思い出す

昔はやってなかったことだけど、最近は(私らしくないですが)こういうこともしてます。

これは嫌な人がいたときや人に嫌なことをされたときに結構やっていることですね。
誰かに嫌なことや酷いことをされたとき私は他人が信じられなくなったりしてしまうんですが、そういうときに「世の中にはいい人もいる」という事実のことを考えると、人間を信じる力が(完全にではないけれど)少しずつ回復してくるような感じがあります。

ちなみにここで言ういい人とは単に立派な業績を成し遂げた人とか真面目に働いて苦労している人とかではありません。
そうではなくて、私の言ういい人とは一切見返りを求めずに自分に損なことが出来る人、無償の善意を持っている人です。

例えば自転車で道を走ってて車道を横切ろうとしているときに車が道を譲ってくれるとかね、そういうちょっとしたことでいいんです。
そういうちょっとしたことをしてくれる人こそが私はいい人だと思います。
そして、そういうチョットした善いことがあるだけで嫌な人の存在も私は乗り越えていけるような感じがあります。

苦しみを減らすためにそういう人のことを利用しているみたいに考えると若干後ろめたいですが、やはりそういう人の存在が最近の私にとって救いになっているという面はありますね。



〇分からないことに関しては全て自分の都合のいいように解釈する

最後に紹介する方法はこれ。

これは何か恥ずかしいことをやらかしてしまって精神的に苦しいときに個人的によくやるやつです。
この思考法は実践すると恥ずかしい過去を思い出して苦しむみたいなことが減るのでかなり重宝してます。

人によって恥ずかしいことは色々あると思うんですが、(一見浮世離れした感じの)私にも勿論はずかしいことはたくさんあります。
恥ずかしかったことをぱっと思いつく限りで書き出してみると大体次のような感じです。

・人前で羽目を外してしまって、不自然な挙動をしてしまった。
・人前で羽目を外してしまって、不自然な言動をしてしまった。
・自分に原因があることで他人を責めてしまって、後で真実が明らかになってその他人ではなく自分が原因であったことに気づいた。
・隠していた事実・モノ・行動などを他人に見られた。
・人違いをしてしまった。
・他人の名前を忘れてしまった。
・他人の名前を間違えてしまった。
・もたついたり等人に迷惑をかけることをしてしまった。

具体的に書くと恥ずかしい過去がありありと思い出されて嫌なので、あくまで大まかに書きだしただけですが、まあ大体こんなようなことが個人的には恥ずかしい感じですね。

恥ずかしい過去の思い出にはずうっと昔の自分が小さかった頃のものもあれば、最近のものまであって、期間的にかなり幅があります。
普通の人は恥ずかしいことをしてしまってもすぐ忘れたり、時間が経つにつれて次第に忘れていったりすると思うのですが、私はかなり(恥ずかしい記憶に関してのみ)記憶力がよくて、昔の恥ずかしいことも比較的鮮明に思い出してしまうので、そのことによって更に苦しみが増強されている面があるかもしれません。

恥ずかしいときにやりがちなのは、やはりとにかく自分にとって最悪の状況が発生しているとつい考えてしまうということですね。
恥で頭がいっぱいな時私は冷静ではないので、何かやらかしたとき、「あの人は今頃私のことを考えて軽蔑しているだろうな」とか「あの人は今頃私のことを考えて笑っているだろうな」とか「今頃噂がどんどん広がっちゃってるだろうな」みたいな感じで実際に起きていないかもしれないことをアレコレ想定してしまい、私は延々ともがき苦しみます。

ただ最近は、そういう最悪の事態が頭に浮かんだときに「いやあの人は私のことなんかもう考えてない」「自分が気にしすぎているだけだ」と考えるようになって、余り引きずることは無くなりましたね。
以前だったらこういう都合のいい考え方はどこか不誠実(自分に嘘をついている?)な感じがして中々できなかったんですが、最近は余りに苦しみが強いために、自己防衛のためか私自身の価値観というか精神に根本的な変化が生じているような気がします。

ただまあ「精神に大きな変化が起きている」というとなんか凄いことを言っているみたいに思われるかもしれないけど、実際のところそんな大した話ではありません(笑)
今私に起きている変化は結局のところ、恥ずかしいことがあったときに「分からないことに関して全て自分の都合のいいように解釈するようになった」とかただそれだけのことなのでしょう。
苦しみが生じるのは自分に都合の悪いことをアレコレ考えてしまうからであって、だから、こういう考え方を単にやめれば自然に苦しみは無くなるのだ!みたいな、まあただそれだけの当たり前のツマラナイ話ですね。

もちろん、私の期待に反して私の恥ずかしい所を目撃した人が「あいつはきもかったな(笑)」とか「あいつまじ馬鹿だったな(笑)」とかそういうことを考えている可能性もあるんでしょうが、可能性があるだけのことなら無数にどんなことでも想像できてしまうし、分からないことをアレコレ想像してへこむのはカナリしょうもないことなので、まあ最近は冷静さが増してきたというか、少なくとも最悪の可能性を事実として考えてしまう癖は無くなってきた感じですね。

ちなみに補足的に言っておくと、恥ずかしいことがあった時に「分からないことに関しては全て自分の都合のいいように解釈する」という思考法のポイントは、「あの人は今頃私のことを考えて馬鹿にしているかもしれないし馬鹿にしていないかもしれない」みたいな具合に「色々な可能性がある」というところで考えを止めたり、「あの人は私のことを別に馬鹿にはしていないであろう」みたいな具合に希望的観測をもつだけにとどめてしまったりしないようにするということでしょう。

「あの人は今頃私のことを考えて馬鹿にしているかもしれないし馬鹿にしていないかもしれない」
「あの人は私のことを別に馬鹿にはしていないであろう」

こういった中途半端な考えでは、ちょっとしたことですぐに「いや、あの人はやっぱり私のこと今頃馬鹿にしてるかも!ああ恥ずかしい!」とか「自分にとって最悪の状況が事実なのかもしれない!」みたいな感情がくすぶってくるのは必至ですので、「あの人は今私のことなんか考えていないし決して馬鹿にはしていない」とか「噂が広まったりとかそういうことは一切ない」みたいな感じで自分に都合のいいことが全て事実であると既成事実化するぐらいの勢いで「諸々の可能性の内、自分にとって一番都合のいいものが事実に違いない!」と現実に関して思いこむことです。
最近の私は実際にそうしています。

これは恐らく恥ずかしいときに苦しみをなくすコツの最たるものです。
この点を守って「分からないことに関しては全て自分の都合のいいように解釈する」思考を徹底すれば、まあ少なくとも恥でもがき苦しむみたいなことは全くなくなっていくのでしょう。

ちなみに、個人的には恥ずかしいことを思い出したときの苦しみを減らすorなくす方法は以上のような感じで自分の考え方を変えるという方法以外ないような気がしますね。
一般的なものであれば恥ずかしいことをしてしまったときには「時が経って遠い過去のことになってしまうのを待つ」「時が経って忘れてしまうのを待つ」みたいな作戦も一応あるのでしょうが、私の場合は前述したように物凄く記憶力が良くて、小さいころにしてしまった恥ずかしいことを未だに思い出して赤面してしまうくらいの厄介なタイプの恥ずかしがり屋なので、やはりこういう手段はとれません。

他の手段として「恥ずかしいことを思い出すきっかけになってしまうものを自分の目に届かないようにする」という方法もあると思いますが、そういう記憶を呼び覚ますものはどんなに警戒していてもやはり自分の目の前に現れるときは現れてしまうので、やはり恥ずかしさとそれに伴う苦しみを消去するには「分からないことに関して全て自分の都合のいいように解釈する」を徹底するしかないでしょう。
(もちろん恥ずかしいことがあった時に「俺はそのことから目をそむけない!あらゆる最悪の想定をして、それらを踏まえた上で力強く生きていく!」みたいな考えを貫くのも個人的にはアリだとは思いますが)



以上、私がどう苦しみに対処しているか色々語ってきました。
いやーチョットしょうもない内容で長くなってしまってしまいました。これはブログを書く人間としてどうなんでしょう。
まあでも今回の記事はとにかく文を書いて精神を癒すのが目的なので、こればっかりは仕方がないですかね。

前述したように私が実践している方法はあくまで無意識にやるもので意図して実践するものではないので、他の人はこの記事に書いていることは別に活用はしなくてよいと思います。
まあ「うへえこんな考えの奴が自分のと同じ社会にいるのか!嫌だなあ!!」みたいな感じで若干引いた感じで読んでもらえたなら、個人的にはその読み方が一番幸いな感じです。

ちなみに以上で紹介したのは私が現実にどう対処しているのか?ということだけなので、苦しみに対処する方法は実際のところ様々なものが考えられるでしょう。
ここで話を終えてしまうのもなんなので、最後にそれらのうちいくつか比較的マトモなものをオマケで簡単に書き留めておきます。



〇自分が今置かれている状況よりもさらに不幸な状況を想定する。

これは恐らくどのタイプの苦しみにも一応有効な方法です。
自分が苦しいときにその苦しい状況の捉え方を変えるだけで、苦しみが減るわけではないから苦しみを減らすうえでそんなに大した役目を果たすという訳ではないんだけれども、まあ一応こういうのもあるということで書いておきます。

比較対象については色々なものが考えられます。
例えば過去の自分や未来の自分の置かれている状況を比較対象にしてもいいでしょうし、非現実の自分の置かれている状況を比較対象にしてもいいでしょうし、他者を比較対象にするのもアリでしょう。

比較対象は色々考えられるので、想像力がある人や知識がある人であればこの方法を効果的に運用できるでしょうが、ただ、この方法に一応難点があると考えられます。

まず一つは、比較対象を不幸な他人にする場合は、結構性格が悪い感じがするということです。
例えば「アフリカで飢餓に飢えている子供や戦争に従軍している少年兵とかに比べれば自分の人生は素敵だな」とか「あの不細工や貧乏人に比べれば自分の人生はマシだ」とか考えている人が身近にいると想像してみてください。
そういう人がいたら多分あんまりその人と仲良くする人はいないでしょう。
少なくとも一般的な人であればそういう考えの人には寄らないはず。

上記のような発言は非常に人間的なものだと私は思いますが、やはりこれらは一般的な人々にはもちろん、公的な場ではまず受け入れられないでしょう。
このように比較対象を何にするかによって「自分が今置かれている状況よりもさらに不幸な状況を想定する」という方法はある種のいやらしさを生じさせてしまいます。
これが、まずこの方法が抱える問題の一点目です。

そして、もう一個の難点はこの方法は苦しみを軽減するかもしれないけれども、同時に喜びをも軽減してしまうかもしれないということです。
この方法はより苦しい状況を考えることによって今の苦しみは大したことはないと考える方法であるわけですが、この考え方を同様に幸福な状況に適用すれば、今の喜びはより喜ばしい状況に比べると全然大したことはないという考えにつながりかねません。
もしそういう考えを自然にするようになってしまったら何も楽しめない・・・なんて状況になることもありうるでしょう。
これがこの方法が抱える難点の二点目です。

以上のような二つの難点がこの方法にはあります。
ただ、この二つの難点はこの方法を全く無意味にしてしまうほど深刻なものかというと、そこまで深刻なものではないでしょう。
例えば「この方法をとることによって周りから疎外されるかも・・・」という点に関しては、比較していることを口にしたりして人に伝えなければいいだけですし、「幸福の価値を減じてしまうかも・・・」という点に関しては、不幸な状況の時だけ比較をして幸福な時だけは一切比較をやめるというようにすればいいだけです。
不器用な人はともかく、こういう器用に都合よく物事を考えることが出来る人であれば、以上の二つの難点はそんな深刻なものではないでしょう。
(というか、深刻でないからこそこういう都合のいい考えは一般的な人々がごく自然に実践しているような気もしますが・・・)

ただこの方法に魅力があるか?というと個人的に魅力はそんなに感じないですね。
実際私が抱えている苦しみが比較によって大したものではないと見なせるとしても、やはり依然として自分が嫌な苦しみを抱えていることには変わりないですし。
あとこの手の方法は恥ずかしい状況とかの心理的に苦しい状況には有効かもしれないけど、身体的に痛いとかそういう類の苦しみには殆ど効果が無いですしね。

「この方法には実はこんな効果がある!」みたいなことがわかれば自然に使うようになることももしかしたらあるかもしれませんが、そう言うことが無い限り、少なくとも私がこの方法を積極的に実践するみたいなことは今後ないでしょう。
とりあえずこの方法について私が言えるのは大体この程度のことです。



〇すべては大したことではないと割り切る

この方法はすべてのことをちっぽけであると考えることによって苦しみを解消するというものです。
「無限の時間の中の無限の空間の中のこの一人物のことなんかに過剰な関心を向けるのは無駄な執着だ!自分みたいなちっぽけなもののことを過大視する必要はない」と考えたり、「苦しみなんてちっぽけなことだ。この世界には特別に関心を向けるべきことなどない」と考えたり・・・
まあ要するにニヒリズムに徹するということですね。

私自身は「自分の苦しみをちっぽけである」とか「自分は全く大した存在ではない」と達観できるほど高尚でもないので、この考え方を今後自分馴染ませることがあるかどうか考えてみると、どちらかというとなさそうな感じがします。
勿論今後のことは分からないので、もしかしたら将来的に全てを無意味だと悟って悟りに至るみたいなこともあるかもしれませんが・・・。

ちなみに補足的に言っておくと、この方法については一個前の方法について言ったことと全く同様のことが言えるような気がしますね。
苦しみだけでなく喜びも否定してしまう考え方であるとか人に嫌われそうな考え方であるとか、「自分が今置かれている状況よりもさらに不幸な状況を想定する」という思考法と「すべては大したことではないと割り切る」という思考法の間にはいくつか共通点があります。
まあこれらはどちらも著しく非社会的な考え方であると言えるので当然と言えば当然でしょう。
(これは余談ですが)



〇悪いことをする

「すべては大したことではないと割り切る」という域を踏み越えて「世界は悪で満ちている」とか「世界自体が悪である」といった域に至ると、苦しみを減らすうえでこの方法を取ることもあるでしょう。

少し具体的に言えば、他者をことごとく悪だと考えて見下し気に入らない人間を片っ端から傷つけ殺害するみたいなのがこの方法の内容に当たります。
或いは他人ではなく自分を傷つけて自殺するみたいなのもこの方法に含まれるでしょうか。

欲望を満たすとスカッとするので、人によってはこの方法をとることが苦しみの軽減につながるのは明らかでしょう。
ただこの方法はものすごくハードルが高いし、今の私の価値観に沿っていないので、私の例に限って言えば実践しそうになることはあっても実際に実践することはないでしょうね。
勿論今後のことは分からないので、今よりもはるかに重度な人間不信に陥ったり精神を病んだりしたら将来的に全てを悪だと悟って悪の道に至るみたいなことももしかしたらあるかもしれませんが・・・。



〇仕方ないと割り切る

最後に紹介する方法はこれ。
全ての生起することに対して「仕方ない」と唱え続けて、徹底的に苦しみに身をゆだねるとかそういう類の苦しみへの対処法です。

まあ要するにこれも諦観ですね。
ただ一見「すべては大したことではないと割り切る」という思考法と似ていますが、「仕方ないと割り切る」の方では「自分は起きていることに対してどうしようもないぞ」という考えが強調されているので、両者は内容が全然違います。

この考え方は何かしらのミスを犯したときに結構しそうになります。
「私が無実の人を責めてしまったのは、そのとき知識が無かったのからであって、それは仕方のないことだったのだ」とか、或いは「小さい頃は恥の観念がまだ成熟していないのだから、羽目を外してしまったのは仕方のないことだ」みたいな感じで自己正当化しようとするとき、私はある意味この方法を実践していると言ってもよいのでしょう。

もしこの方法を完全に実践すれば何も思い悩むことは無くなるのでしょう。
なぜなら、どんな事態が生じたとしても「仕方ない・・・仕方ない・・・」と唱え続けて流してしまえばそれでいいわけですから。

ただ「本当に全てのことが仕方ないことなのか?」ということを考えていくと、中々そういう考えには行けないですね。
やはり過去に遡っていけば、過去に起きた出来事あるいは過去の私の選択次第で別様の現実もありえたような感じがしてしまいますし。
少なくとも今の私には「全ては仕方ないことなのだ」と決めつけるほどの気概は無いので、私はこれからも過去を悔やむことは完全にはやめられないのでしょう。
(世の中には運命論とかを信じて全てを仕方ないで片づける人もソコソコいると思うけど)



以上「生きるのがつらい」と「生きるのがつらい時にどうするか?」の二つのテーマの下でアレコレ語ってきました。
途中から書くのがめんどくさくなってきて、苦しみを癒すどころかむしろ苦しみを増しながら文章を書いたような感じが無きにしも非ずですが、とりあえず最近の私のことは結構色々かけた気がするのでソコはよしとしときましょうか。

さて、今回の記事はとりあえずこれで以上なんですが、あと最後にちょろっと絵の話でもして終わりましょうかね。
今後の話をすると、まあいつも通りの話になってしまうんですが、これからはガンガン絵を描いていきたいですね。
ここ最近はすんごい色々苦しいことがあって、まあ中々作品を作る余裕がなかったんだけど、やっと今になって色々と落ち着いてきた感じなので、これからはまた前ぐらいのペースで作品を描くことは出来ると思います。

絵の方向性について言えば、まあこれに関しては今後も変わることはないとは思いますが、一応「細かいところで地味に変化をつけていって少しずつ違うものを作っていきたいなあ~」とか「もっと人をたっぷり呪える絵を作っていきたいなあ~」とかボンヤリと思ったりしますね。
やっぱり同じことを繰り返し何度もするのはつまんないですからね。
なので、モチーフを今までとは変えたり、絵柄を変えたり、雰囲気をいじったりしてやれる限りのことは今後精一杯やっていこうと思います、ええ。
(そんなん口だけだろと思う人もいるかもしれませんが・・・)



まあ最後はテキトーな感じになっちゃったけど、とりあえず今回の記事はこんな感じで。
次更新するときは新しく作品が出来た時だと思うけど、まあまた書くことが出てきたらなんか書きます。
では、また。

苦しみ 苦痛 人間関係 不幸 幸福 ニヒリズム 諦観 価値観

01 2018

最近の作品の話



201806010112.jpg

どーも、ぶち丸です。
相変わらずを描いたり寝たりする日々を送っている感じなんですが、今回も自分が描いたについて語っていこうと思います。
今回は上のについて簡単に。

前々回の記事のと同様に少女のです。
ここに載せるのは初めてのなので、ブログしか読んでいない人は見るのは初めてでしょう。
(PixivやTwitterには少し前に載せていたので、もう見たわ!って人もいるかもしれない)

前回描いた少女の絵に沢山の致命的な欠陥が見つかってきたので、リベンジがてら描いてみました。
前回の少女の絵は顔のデッサン等が狂ってたりして今見返すとちょっと恥ずかしいのですが、今回の絵に関してはそのへんの問題は(あまり)ないと信じたいところです。

ちなみに上の画像はPixivやTwitterで先に投稿した画像とは別バージョンです。
見比べないと分からないと思いますが、色んな箇所が変わっています。
ツノをはやしたり、衣装に手を加えたり、ほっぺをより赤くしたり、頭回転したり、他にも細かいとこ微調整したり。

PixivとTwitterに投稿した後に色々ミスが見つかったので直しました。
まあ、あくまで他の人から見ればどうでもいい細かいところなんですけどね。
とりあえず他のところにある画像ではなく、ここにあるこの画像こそが完成形だと思っていただけるとありがたいです。
(PixivやTwitterで公開している画像もこの完成形の画像にしたいけど、これらのサイトはブログと違って投稿した画像の差し替えが出来ないのでもどかしい・・・)



とりあえず絵を描いた感想を語ってみると、相変わらず完璧主義の性格がたたって
「できた!」→「いや、まだ出来てない・・・」→「できた!」→「いや、まだ出来てない・・・」→・・・
の無限ループの輪から逃れられないのが中々つらいところですね。

描き方を変えればそんなに制作に手間はかからないのでしょう。
たとえば人間の絵はデッサンが狂わないようかなり神経を使うので、人間以外のものを描くとか。
あるいは写実的な絵柄にするのをやめて、もっと抽象的な絵にするとか。
そういったことをすれば今よりも作品が量産できるので、自分としてもそっちの方がいいのかもしれません。

ただ無駄に大変な方向へ進もうとする変な癖があるので、今後も絵を描く調子は変わらないでしょうね・・・。
性格って変えようと思っても中々変えられないものだし、やっぱりこればっかりは自分の力ではどうしようもないのでしょう。
(正直、自分の性格については少しずつ変えていきたいところだけど)



ちなみにこの絵を描いてるときは「リアルな絵柄で今風の目の大きい子を描こう!」みたいなことを考えていました。
「只現実的な少女を描くだけではつまらない・・・でもありきたりなアニメ絵は描きたくない・・・じゃあ両者の良いとこどりをした絵を描こう!」みたいな感じで。
安直ですね。

ただ、「リアル」と「デフォルメ」という相容れない二つの要素の両方を一つの作品にぶちこむのは難しかったです。
たとえば写実的にしすぎるとなんかあんまり可愛くなくなっていくし、
かといって影とかを消してモチーフを平面的にしてみるとなんだか下手な絵にしか見えないし。

この作品を作っていた時は「リアルな絵柄に寄せつつ人物の可愛さをいかに保つか?」という課題の下で悪戦苦闘してました。
どうすればいいのか分からなかったので、とにかく描いている途中に手探りで答えを見つけ出していった感じですね。
あとは、ほんのちょっとの違いで人間の顔は印象が変わるから、そのへんの微調整に多少時間を費やしたりもしました。

で、結局のところ、最終的に出来上がったこの絵は相容れない二つの要素をうまくぶちこむことに成功したと言えるものなんだろうか?
どうなんだろう。

・・・正直なところこの絵の出来がいいのか悪いのか私にはよく分から無い感じですね。
個人的にはソコソコ上手くいったような気もするし、一方であんまり上手くいっていないような気もします。
やはりリアルな絵って情報量が多いから、印象を一つの言葉で表現するのが難しいです。
ある時にはまあまあいい感じに見えるのに、別の時には全然ダメに見える、みたいな感じで印象がコロコロ変わります。



ただ一つ言えることは全体のバランスがおかしい感じがするということですね。
具体的にどこが悪いのかは分からないけど、個人的にこの絵は何かがおかしい感じがします。
(何処が悪いか指摘してくれる人が現れたら個人的に凄く有難いのですが・・・。)

基本的に完成した絵は
「完成させる」→「しばらく絵を寝かせておく」→「絵を引っ張り出してきて変に感じたとこを直す」→「また暫く寝かせる」→「絵を引っ張り出してきて変に感じたとこを直す」→・・・
みたいな感じで徐々に修正していくことが多いのですが、今回の作品は「もう直すところが無いのに変な感じがする」ということで大分もどかしい感じですね。
何がダメなんだろう?全部が根本的にダメということなんだろうか?

よくよく振り返ってみると完全に思い付きで描こうとしたのがまずかったのかもしれません。
ふつうリアルな絵を描くとき、大抵の人は何か見ないと上手く描けないと思うのですが、私は服も顔も何もかも完全に思い付きで描いたので、そこに多分無理があったのでしょう。
服は黒で誤魔化して何着てるのかよく分からないし、表情はどういう表情なのかイマイチ釈然としないし。

まあ絵が下手な人間が調子に乗ったことをするとこういう結果に終わるといういい例なのかもしれません。
他の人は私みたいないい加減な描き方はしない方がいいでしょう。
(上から目線な言い方で恐縮ですけれども)



とりあえずこの絵を描いていて思ったところはそんな感じです。

いやー、改めて思うんですが、やはり絵を描くのは難しいですね。
描いても描いても全然納得出来るものが出来ないので、ものすごくもどかしいです。

いつか自分が納得できるものは出来るんでしょうか?
まあ、それは分からないんですけど、でも、分からないからこそ続けるしかないですね。
とりあえず現時点では実力不足なのは明白なので、完璧なものを作ろうとするんじゃなくて、「一つでもいいところがある絵ならばそれでヨシ」の精神で気軽にやってこうと思います。

今のところはそんな感じです。ではまた。